立冬・おとりさま・家族の絆
2003年11月8日東京滞在の4日間はいつも、自分の稽古や師匠の助手でめまぐるしいスケジュール。
でも今日は、ちょっと早めに実家に帰って家族と一緒に「おとりさま」に行ってきた!
「おとりさま」の愛称で親しまれる大鷲神社。
ご祭神は日本武尊(ヤマトタケルノミコト)、古くは新羅三郎源義光が奥州遠征の戦勝祈願をし、また、釈迦如来が鷲に乗った正一位鷲大明神をお祀りしていたこともある、小さいけど由緒正しい神社だ。
さらに、神社の名前にもなっている鷲の羽根が弓矢に使う最高級の矢羽だと言うこともあって、今から600年ほど前から、江戸在藩の諸侯は屋形船で、武士は遠乗りをかねて騎馬あるいは徒歩で11月の酉(とり)の日に武運祈願の参拝をするようになったのが、現在の「酉の市」のはじまりだ。
そして現代・・・それはうちの実家にとっても恒例行事。子供の頃から、毎年楽しみにしていた。
「酉の市」は、11月の酉の日に行われるんだけど、暦によって酉の日が2回ある年と3回ある年があって、それぞれ「一の酉」、「二の酉」、「三の酉」という。
「三の酉」まである年は火事が多いって言うけれど、どうしてなんだろう?どなたかご存知の方がいらっしゃったらぜひ教えてください〜。
商売繁盛を祈願して熊手を買い求めに来る人たちでとても賑わうこのお祭り、今年は今日が「一の酉」。
ちょうど私が東京に来る日と重なって嬉しいわ〜!去年も、一昨年も来れなかったの。
そんなこんなで、両親と1人暮らしの弟と私、久しぶりに家族4人が集まって夜8時頃行ってきた。
昔、弟や私が通った小学校の通学路だった道や、よく遊んだ場所を通ってぶらぶらと歩く。
懐かしくも楽しかった子供時代の記憶が、涼しい夜風に乗って鮮明に甦ってくる・・・。
ひとつ、その頃と違うのは、この暖かさだ。
かれこれ20数年近く前、酉の市に行くこの道を歩くにはダウンジャケット・マフラー・手袋などでしっかり防寒しないと、寒くって耐えられなかった。
それがここ数年は、温暖化でぜんぜん寒くない。個人的には嬉しいけど、やっぱりおかしいよ地球は。
神社が近くなるにつれ、人が多くなってくる。
遠くに屋台の明かりが見えてくると、子供の頃思わず駆け出したあのワクワクする気持ちが甦ってきた。
狭い境内にぎっしりと屋台がひしめく。細い参道をたくさんの人たちと一緒にゆっくり歩きながら本堂を目指す。
その間、屋台チェックはもちろん怠らない。
スーパーボールすくいが、最近はキャラクター人形すくいに変わってる・・・。
お、ソースせんべい健在。
水飴は外せないなぁ・・・・・ん?
「おいしいトルコ料理 ドネルサンド」??
肉の塊を包丁で削いで、パンに挟む。 へぇ〜。
名物 きりたんぽ。 ナゼまた。
七味売りのおじさんの口上、ついつい引き込まれる。
さぁ、まずはお参りだ!
長い列に並んだ後ようやく本殿に到着、心を込めてヤマトタケルノミコト様のご幸運・ご繁栄を祈願させて頂いた。
また人波に流されるように参道を逆戻りして、テーブルとパイプ椅子が置かれた、簡易飲み屋(?)に腰を落ち着けた。
実はこれは、私たち一家のお決まりパターン。
というか、父は特にこれが楽しみでお参りに来るといってもいい。
屋台のメニューは到って分かりやすく、おでん盛り合わせ・モツ煮込み・ビール・お酒の4品のみ。暗黙の了解で、近くの屋台で買った焼きそばなどの持ち込みも可だ(太っ腹〜)。
微妙に汚いテーブル、ガッタガタの椅子。大きな青いビニールシートで簡単に屋根をしつらえて裸電球をぶら下げただけの屋台には、それでも楽しげにお酒を飲み笑いあう人々で満員だ。
私たち家族も、久しぶりの団欒で話もお酒も弾む弾む!そんな両親や弟の楽しそうな笑顔を見ていたら、言いようのない幸福感に包まれた。
どこの家もそうだと思うけど、うちも昔は大荒れでね・・・大変だった。
短気でワンマンな父が母に暴力ふるって修羅場だったり、弟と父の衝突・家出なんかしょっちゅうだった私。母はずいぶん泣いた・・・。
そんなこと全てを、今は家族の全員が受け入れ消化して、トゲやカドをどんどんそぎ落とし自然体に近づいている。
家族の絆は、時に血を流しながら強く強く結ばれてゆくものだ。
気がつくと、4人ともただの酔っ払い。話し声も大きくなって、隣に座っていた両親と同じ年くらいのご夫婦を巻き込んで大盛り上がりになった。
おとりさまが用意してくれた、家族との大切な時間。
この暖かな愛が、私を前へ前へと進ませる。
そして私は少しずつ、深く強くなっていき、注いでもらった愛情の100倍、返していくんだ。
・・・・と、心に固く誓った私は
ただの酔っ払いでした。
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香港旅行記3日目、アップしました!
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