サイは投げられた
2003年11月27日あああああああああああっ!
4000のキリ番 自分で踏んだっっ!
ちぇっ!
さて今日は
仕事をこなしながら
昨日相棒が言ったことを考えていた
「僕は、君と子供(を持つという理想)という2つの大きなものを失った気分だ」
彼は今、私をどう愛したらいいのかすら分からなくなっている。
人を愛するってことは、気を付けないとただの独りよがりになる。
恋愛の絶頂期のような、地に足がつかないフワフワ状態にいる2人は別として、ひと段落した後で長い年月を一緒に過ごす場合は、愛情のやりとりに少しずつズレが生じることって良くあると思う。
それは親子関係でも同じで、一方が「愛してる」と100回言っても、それを相手が受け止めて実感できなかったら言われていないのと同じことだ。
相棒は、優しい人だ。
すごく優しいから、私が「こうしたい」と言うことは何でもやらせてくれた。
仕事、趣味、子供のことも、我慢させるのがかわいそうだからと言って反対しなかった。
それに甘えていた私もどうかと思う・・・。
でも いつか相棒は
自分の中に芽生え始めた私に対するフラストレーションに気付いた。
気付いたはずだ。(←推測)
そしてそれを、ぐーーっと押さえ込んだ。
ぐいぐいと心の奥底に沈めて、見ないふりをし続けた。
だけどそんなものは、必ず違う形をとって表に浮き上がってくる。
ちょうどそんな時に、私にキツイひと言を言われて全てが崩れ去った。
今までの自分は、何だったんだろうと・・・。
私は根本的に、自分を大切にする。自己中心的というのではなく、自分を肯定できなかったら他人を受け入れることなど無理だと思っているからだ。
一方、相棒は自分を犠牲にしても相手を喜ばせたい。相手の幸せが自分の幸せになる人だ。
それって、素晴らしいことだと思う。
但し、それを実行するためには人並み外れた強さが必要だ。母が子に注ぐ、無償の愛のレベルだ。
私は思う
相棒は、その理想を実現するためにずっと努力し続けてきた。
実際、私は彼の驚異的な強さに感嘆したことが少なからずあった。
私だったらとっくに投げ出していたと思うことがいくつもあった。
それは、私に向けられる彼の愛そのものだった。
でも
私は見抜いていた
彼の矛盾を。葛藤を。そして何度も言った。
「自分を見つめて、心を開いて。できないことを約束しないで」と。
きっと今だからわかる
相棒も私も、
今日のこの日に向かって生きてきたということ
私にとって彼は
かけがえの無い存在だ。
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