年と共に新しくしよう。
2003年12月28日終わったあ〜・・・・・・・。
クリスマスと年賀状書きが終わった〜。
特に年賀状、私は今時珍しく手書きします。
友達関係は書いてても楽しくていいんだけど、仕事関係は小学校の授業よろしく書道セットを出してきて、墨をするとこから始めるのだぁ。
毎年思うけど・・・もっと上手くなりたいな。
それにしても虚脱感。毎年この時期に陥るこの感覚、放っとかれたら果てしなくボーッとできそう。
しかーし、現実は私を放っといてくれないわ。
まずは今年最後の大ニュース
4年間単身赴任していた相棒が、来年1月末に帰ってくることになった。
いやぁ〜長い間、本当にお疲れ様。
いいオッサン(失礼!)になってからの1人暮らし、きっと楽しくも苦しい経験だっただろうなぁ。
そんなこんなで、相棒にはモチロン吉報だったが・・・私は複雑な心境よ。
何しろ生来の「気まま人間」である私が、身の程知らずに結婚などしてしまったわけで、それでも何とか(爆っ!)10年間は相棒と暮らしてきた。
そして、彼の単身赴任。
そりゃあ最初は、寂しくて泣いた夜もあった
(↑・・・遠い目)
でもすぐに、自分のために使える時間が増えたことを満喫し始めたのよね♪
そう、4年間は早いようで短かったような。
先週相棒がこっちに帰ってきていて、今後の2人のことをじっくり話し合うことができた。
外で食事しながら、はたまた一緒に入ったお風呂の中で、私達は冷静に真剣にお互いの心を偽ることなく思う存分話した。
そして、結論らしきものが出た。
私達は、夫婦の絆を一度白紙に戻す。
・・・・いえいえ!
離婚ぢゃありません。驚かせちゃってゴメン。
ちょっと前の日記にも書いたけど、私達が離れて暮らす間に少しずつ大きくなってきた気持ちのズレ。
お互いにとって「夫婦」と言う関係の捉え方が食い違ってきたというか、もともと潜在的に持っていたものが水面に上がってきたのだ。
子供のことも、そのひとつに過ぎない。
私達は、お互いを良く知っていると思い込んでいたけど、実はきちんと見ていなかったし素直に表現していなかったのだ。
だからもう一度、今までの2人の関係に捉われることなくお互いを見つめ直すことにした。
私は、私なりにこの数年間
彼と自分のことについて浅く深く、悩み続けていた。答えはすぐそこにあるようで実はどこにも無かった。
そして彼が言った言葉に、私は救われた気がした。
「お互いに、本当にもうだめだと思ったらその時は別れればいい。」
これに救われたって、変?
その時ね、私はつくづく自分が「自由」でありたい人間なんだってわかったの。
言葉や行動で縛られることに、人並み以上に嫌悪感を抱いてしまう。制約や限度に枷をはめられることが怖くて、反射的に逃げたくなる。
ハイ、おっしゃるとおりです。
私はそもそも、結婚なんかしちゃいけないんです。迷惑です。
相棒は、性格的に私の対極にいると言ってもいい。だからこそ、私の極端な考えや行動を緩和してくれる貴重な存在だ。
似たもの夫婦ってのもあるけど、私達の場合はお互いの過不足を中和する関係なのだろう。
でも、気をつけなきゃいけないのは、一方が極端に耐えなければならないような人間関係は長くは続かない。
この国のこの時代の、一般的な「結婚」と言う制度に不向きな私と一緒にいて、相棒が不幸になってはいけない。
かと言って、私は体中に発疹を作ってまで自分を欺くことができない・・・。いや、それは相棒にしたっておなじことだろう。
本当にダメだと思ったら、別れればいいという夫婦のあり方に違和感を感じる人ももちろん多いはず。
全く、おかしな話だ。今更何を言うか。
でも彼がそう言った時、私は心の枷が外れた気がした。
それはやはり、一度夫婦として契りを分かち合った仲なら、死ぬまで添い遂げるべきだと自分に言い聞かせていたからだ。
これから私は、肩の力を抜いて相棒を見つめなおすことができる。自分にとってこの人は何なのかを、真っ白なキャンバスに向かう画家のような気持ちで考え始めることができる。
いつ、2人の関係に答えが出るのかはわからない。数ヵ月後か・・・数十年後か。
人を愛するとは、どういうことなんだろう。
今、確かに感じていることは
こんな私を簡単に投げ出さないでいる
相棒・・・彼と言う人間に対する
畏怖に似た感謝の気持ち。
だから私も、偽らずそれに応えていきたい。
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