現実と向き合う
2004年1月5日<1月4日(日)>
今日は東京の実家から私は大阪へ、相棒は福岡へと帰る日だ。
昨日の夜あれだけ泣いた私は、当然目が腫れて人相がぜんぜん変わっていた。
起きてみんなに会う前に、氷で冷やしたけど全く効果なし。仕方なくそのままにして、「なんかむくんじゃってさー」と誤魔化した。
帰りの飛行機は相棒も私も夜7時半頃の便。
それまで少しでも気を紛らわせたかったので、相棒と2人で早めに実家を出て、またお台場に行くことにした。
電車に乗っていても、涙が溢れてきそうになる。でも相棒が明るく振舞ってくれて本当に助かった。
お台場に着いて、ウロウロしていた時
携帯にメッセージが入っているのに気付いた。
先生の妹さんからだった!
昨日の私のメールを見て、自宅の電話番号を残してくれていた!
これでやっと、何が起こったのか聞くことができる・・・
すぐに、かけてみた。
そして判ったことは・・・・
元旦の夜、家族と食事をしていた先生は気分が悪くなり、横になった。しばらくして「脈が普通じゃないから」と救急車を呼び自分の足で乗り込んで病院に向かった。
その途中、容態が急変。心臓に血液が回らなくなる”虚血性心不全”を起こして救命救急センターに搬送された。
一度は蘇生したものの、手当ての甲斐なく息を引き取った・・・・ということだった。
一週間後には、29歳の誕生日を迎えるはずだった。
まだ若すぎる上に体には(もちろん心臓も)持病は無く、まったくの「突然死」・・・。
それを知って、私は確信した。
やはり先生は天命を全うしてしまったんだ。
もう次の使命が与えられて、そっちに行かなければならなかったんだ。
羽田空港に向かい、相棒と別れた。彼はとても心配してくれた。実際、1人で大阪の家に帰るのは心細くてたまらなかった。
大阪に戻ると、やはり悲しみが大波となって襲ってきた。
この街にもう先生がいないだなんて・・・。
家に帰って、先生を紹介した友達みんなに電話をして訃報を伝えなければならなかった。
辛すぎる。
明日、その全員が先生の自宅に駆けつける。
もちろん私も。
ああ・・・先生の遺影を見なければならないなんて・・・。
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5日のできごとは、後日もう一度ここに書き足すことにします。
とりあえず今は、ここまで・・・・。
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