「ありがとう」どうか届いて
2004年1月6日<1月5日(月)>
朝10時、第一報を知らせてくれたYさんと待ち合わせ。
ずいぶん早く駅に着いた。
先生のお母さんから「着いたら電話してくれれば迎えに行く」と言ってもらっていたけど、自分で探してみることにした。
改札を出て右側とは聞いていたけど、どの辺りなのかはサッパリわからない。
ただひとつ、とても静かな住宅街に住んでいらっしゃるはずと言う気がしていた。
足の向くまま角を曲がり、表札を確認しながら歩く。
すると、2分もたたないうちに先生の家の前に立った・・・。
ああ・・
先生、ちゃんと呼んで下さったんだな。
駅まで引き返してYさんと合流して、改めて玄関の呼び鈴を押した。
お母さんが、気丈に明るい声で招き入れてくれる。通されたのは縁側のある落ち着いた和室で、朝の光が満ちて暖かく穏やかだった。
その奥で、先生は笑っていた。
両側をきれいな花で埋め尽くされた先生の遺影。その写真は、どんな痛みも苦しみも包み込んで消し去ってしまう先生の治療と同じくらい、愛情に満ち溢れていた。
それは奇しくも、10月に田んぼの収穫でご一緒させて頂いた時撮ったものだった。
そうあの日は、うららかな秋晴れの日だったからみんなはしゃいで写真撮ったっけ・・・。
傍らに座ったお父さんが目を真っ赤にして言う。
「息子は私の、一番の理解者でした」
そうだ、一番辛いのはご家族の皆さんなんだ。
私がメソメソしちゃいけない・・・。
遺影の前に座り、ろうそくに火を灯す
お線香を立て、先生の顔を見て「ほんとうに、有難うございました」と言ったらもう・・・
悲嘆に暮れる私達に、妹さんとおばあちゃんも加わって、先生の子供の頃から今までの色んな話を聞かせて下さった。
とめどなく泣けて仕方なかったけど、先生らしいエピソードもたくさんあって最後にはみな声を上げて笑っていた。
その間にも、先生の鍼で救われたり心を広げられたりした人達が続々と集まってくる。
それぞれが、この辛すぎる別れを少しずつでも受け入れようとしている時、その部屋には不思議なほど穏やかな空気が流れていた。
小学生の頃、お坊さんになりたくて自分の事を「チンネン」と言っていた先生。
鍼灸師という職業を選んだけれど、やはり先生は苦しんでいる人を助けるために生まれてきたんだとしか思えない。
先生の戒名をつけ葬儀を受け持ったお坊さんが、「この人は体ではなく心を見て鍼を打った。とても浄い心の持ち主だった」とおっしゃって、ご自分のお父さんでもある亡くなったご住職の袈裟を棺に納めたそうだ。
お母さんが言う。
「今となっては、自分の息子であってそうじゃなかったような気がするんよ。ほんま、不思議な子やった。たまたまここに生まれてきて、天命をなし終えてまた帰って行ったんやね。」
私も本当にそう思う。
小さな赤ちゃんからお年寄りまで、首の寝違えから瀕死の重症まで、あらゆる人の病を「心を診て」治してしまうなんて。
開業してもうすぐ5年、先生を慕う患者さんは増える一方だったのに、どうしても天上界から必要とされたんだ。
「心配なん?何がやねん。ティダさんはもう、自分で自分を治す力を持ってんねんで。鍼なんか打たんでええねん!」
えーっ、先生、ほんとですか?
「ほんまやって。そうやって疑ったり不安になるからその力が出せなくなってるだけや。」
そうですね・・・。わかります。
ちゃんとわかってるんですけど・・・
もう一度、言ってもらえませんか?
しつこいようですが、
もう一度だけ、聞いてもいいですか?
会いたいですよ、先生・・・
会いたいです
気付いたらもう陽が暮れかけていた
時間の感覚がまるで無かった
もう一度先生に「ありがとう」と言って
外に出ると
1月の風はやっぱり冷たかった
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