卒哭忌に祝福を

2004年4月8日
マズいこと極まりない「小青竜湯」。

今晩の分は、何と50分かけて飲んでいます。ここまで来るともう、自虐的な気分になるね。全部飲みきってから30分経たないとご飯が食べられないので、給食で嫌いなおかずを残して居残りで食べさせられている小学生の気分よ。・・・ああ、もう捨てていい?いいでしょ?誰かいいと言ってぇぇぇ〜っ!



さて今日、大阪では見事な青空が広がったよ〜。

まだあちこちで咲き誇っている桜の淡いピンク色が、真っ青な空を背景にキラキラと輝いてそれは美しかった・・・。

土手沿いを歩けば、空の青と土手の緑が信じられないくらい清々しいコントラストを描いている。

こんな日は、全てが輝いて見える。

去年の春、ちょうどこんな気持ちの良い天気の日に鍼の先生のところへ行き、一緒にお昼ご飯を食べた。午前の診療を終えてほっと一息、いつもの讃岐うどん屋に向かう途中で先生は天を仰ぎ大きく深呼吸して言った。

「う〜〜ん、気持ちええなぁ〜!!太陽が輝いて全てがキラッキラしとる。細かーい粒子の一粒一粒が煌いてるなぁ〜!」

ちょうどその時、私も同じように感じていたからそれを聞いて何だか嬉しくなった。見慣れた街の風景が一変して、太陽の光・吹いてくる風や木々の若い芽が、この世界を祝福しているかのように思えてくるのだった。

あの時・・・先生の顔がいちばん輝いていたよ。



そして今日は、先生の百か日。

初七日も四十九日もそうだったけど、節目の日には必ずこんな気持ちの良い青空が広がった。まるで先生を慕う全ての人たちの想いが、少しでも届きやすくなるように神様が計らって下さったかのように。

百か日は、「卒哭忌」とも言う。その名の通り悲しみに1つの区切りをつける時とされるけれど、当然そんなにきっちり割り切れるものではないよね。

今日に先んじて、私は月曜日に生徒さんと一緒に百か日のお参りに行って来た。お母さんとおばあちゃんがいつもの通り暖かく迎えてくれ、先生との尽きない思い出話で泣いたり笑ったりした。

百か日が過ぎると法要は一段落するから、ご家族にとっては張り詰めていた気持ちも緩んで新たな悲しみが湧いてくるだろうと思う。おばあちゃんなどは前回来た時に比べて元気が無く、「今でも毎日、どうしてあの子がと思うんよ。」と肩を落として言うので、思わずその丸い背中をさすってしまった。

私は思う。先生は今も絶対、家族みんなを守っている。

四十九日前にそんな夢も見た。

暖かく大きな愛で、家族を包み込んでいるはずだ。




そして今日、4月8日はお釈迦様の誕生日。

生前から「只者ではない」と思っていたけれど、先生を知るたくさんの人たちが「あの人はまるで生き仏様みたいだ」と言っていたらしい。やっぱりね。先生は今、本来いるべきところにいらっしゃるのでしょうね。

お釈迦様が今から2000年以上も前に、この世に生を受けてこられたことを祝って。

先生が観音菩薩さまと天上対談を終えて、更に高みへと昇って行かれることを祝って。


青い青い空に、祝福を。

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