目は曇らせない

2004年4月16日
今日から東京に来ています。来週の月曜日まで。

いつも通り伊丹から飛行機に乗って羽田について、羽田からモノレールとJRを乗り継いで新宿に着いて、今インターネットカフェでこれを書いています。

ここに来るまではラッシュと重なって、JR中央線の車内はギュウギュウ詰め。
ドアのところに立ってボーっと乗っていた私の目に、スポーツ新聞の大きな見出しが飛び込んできた。

<小泉総理 激怒・「反省なし」>

さっき飛行機の中で見たニュースと見出しの言葉から想像して、イラクで人質となっていた女性が解放されてインタビューに応じた時の話に、総理がご立腹なのだということがわかった。

そのインタビューで彼女は「今後の支援活動はどうしますか?」と聞かれ、「続けます」と答えた。前後の話を聞いていないので微妙なニュアンスが私には判っていないけれど、小泉総理が「反省がない」と激怒しているなら私の想像は当たらずとも遠からずかと思う。

日本中が固唾を呑んで見守っていた、日本人人質事件。

私も毎日、最悪の事態にだけはならないでくれとテレビをつけるたびにちょっぴり祈るような気持ちだった。

無事に解放されて、本当に良かった。

そこで小泉総理だ。

私の想像も及ばないほど時間も労力も裂いて、この事件の解決にあたっていただろう。その反動で上記のような発言が出ても無理もないし、そう思う人は沢山いると思うし、それが人間ってもんだとも思う。

そこで私だ。

この場合の”怒り”は、自分の精神的・肉体的苦労を相手に対して「してやった」と感じているところから出てくるのではないかな。

でも、それは少し違うと私は思う。

起こること全てに意味がある。彼らが捉えられて地獄のような8日間を過ごしたことにも、日本中が彼らを心配したことも、彼らを助け出すためにご家族の皆さんをはじめ大勢の方々が力を尽くしたことも。

そして、そのこと全てに「させて頂いた」という気持ちで接してみると、また違った見方が出来ると思う・・・。

「心配してやった」
「助けてやった」
「あらゆる手段を使って交渉してやった」

ではなく

みんな「〜させて頂いた」ことなのではないだろうか。

そう思うと、この事件でみんなが実に様々なことを学んだことになる。私も日常生活ではありえない、経験したことのない事態に深く考えさせられた。

生きていると、どんなことでも起こり得る。

そして、身近に起こることは実は自分が引き寄せていることだということも、私は確信を持つようになった。

無事に生きて帰った彼らは、まだ生きて、しなければならないことがあるのだろう。今回のことを経験しなければならない何かを、彼ら3人は共通に持っていたのだろう。

そして小泉総理・・・

昨日のニュースで、犯人グループがこんなコメントを出していたよ。

「人質を解放したのは、日本国民が自衛隊を撤退させるためにデモを行っているのを見たからだ。日本政府が何かをしたためではない。」

反省がないって怒っている場合ではないんとちゃう?


「新宿〜 新宿〜」

すし詰めの車内から私も解放されて、意識が現実に戻る。

さあ!  これからひと仕事!!

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年6月  >>
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293012345

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

まだテーマがありません

日記内を検索