舵を取れ〜、ようそろ〜!
2004年5月18日「詳しいことはまた後で」な〜んちって、あれよあれよと言う間に3日も経っちゃった。
毎日が浦島太郎気分♪ うふっ♪ (なんで「うふ」やねん)
さあて、くだらない”ひとりボケツッコミ”なんかしてないで、書いておこう! 私が肩の荷を降ろした話を。
しばらく日記には書いていなかった、私の人生最大の岐路になりつつある相棒との卒婚(要するに離婚ね)。
この2ヶ月間、私達は自分と相手から決して逃げることなく向き合い続けてきた。自分を見失いそうになったり、やり場の無い複雑な感情に押し流されそうになったり、例えようもない不安に号泣したりする中で何とか2人とも仕事をこなしていた・・・。
(たった2ヶ月のことなのか。ボー然。)
その間、私は東京に住む両親に自分達がこんな状態になっていることを全く話せないでいた。
うちの実家は商売をしていて、この時期とても忙しくただでさえ疲れているのにこんなこと話せなかったし、私たち自身もこれからどうすればいいのかが全く見えなかったこともあって、ひたすら隠し続けていたんだけど。
これがほんとに、辛かったんだよね〜。
母ちゃんなんか鋭くて、「あんた達仲良くやってんの?」なんて直球投げてくるから思わず顔もひきつるっちゅーの。
そう言えば私は昔から、人に相談するのが下手だった。
でも・・・よくよく考えると、私は今までどうしたらいいのか全くわからなくなって誰かに相談したいと思ったことが、無かった気がする。
もちろん迷うことはたくさんあった。でも、問題が起こるのとほぼ同時に、自分の中には選ぶべき道が見えているんだなぁ。それが最初はどんなにぼんやりと頼り無さそうでも、ゆっくり考えているうちに必ず確信に変わってくる。周りから「無理だよ」とか「やめたほうがいいよ」と思わず不安になりそうなことを言われたこともあったけど、まっさらな自分の心から出た答えはどんな時も力強く光っていた。
だから、私はいつも「事後報告」だ。
あっ
相棒はそれがとっても嫌だったらしい。
すまぬ。しゃーないやん
そんなこんなで、先日やっと両親と弟に「私達、こんなことになってるよ〜」と打ち明けることができた。まだ離婚するとは決めてないけど別居は確実、お互いの人生設計が大きく違ってしまったことを淡々と話す私を、家族は驚きつつも静かに受け止めてくれた。
相棒のことを悪く言う人は誰もいない。うちの家族はみんな、彼が大好きだった。いや、今でもそうだ。
むしろ妻としては完全に「落第点」だった私に話題は集まる。でもだからと言って一方的に責められる事はなくって、最後には「仕方ないね」に収まっていた。
ああ・・・ほっとした。
本当に、肩の荷が降りたよ。
それにしてもうちの家族って・・・大人になったなぁ。
昔はこんなに穏やかじゃなかった。自分の本意でない方向に物事が動くと、力ずくで止めようとしたり変えようとしたりして相手をずいぶん傷つけ、自分も傷ついたものだった。
どんな事も起こり得る、だから起こったことをありのままに受け止める。
もしかしたらそんなことが出来るようになった時、「大人になった」って感じるのかも知れないな。
私達家族は、長年に渡ってぶつかり合い、血も涙もダーダー流して理解しあってきた。もうちょっと楽な方法があったはずだと、今思えば何て親不孝者だったんだろうと悔やむこともある。だけど全ては無駄じゃなかった。いちばん根っこのところで、自分を捨てても家族を守ろうとする愛が繋がっている。
相棒とも、そんな絆が結べれば良かったのかな?
ううん きっとこれで良かったんだと思う。私達が出会った意味がちゃんとあり、ここで別の道を行くならそれにもきちんと意味があるのだ。とても大切な意味がね。
だから、結婚したことを後悔したことはただの1度もない。
心の底から感謝しているんだよ。相棒よ、私と結婚してくれてありがとう!本当にありがとうね!!
近々、相棒と私は卒婚することになると思います。
毎日が浦島太郎気分♪ うふっ♪ (なんで「うふ」やねん)
さあて、くだらない”ひとりボケツッコミ”なんかしてないで、書いておこう! 私が肩の荷を降ろした話を。
しばらく日記には書いていなかった、私の人生最大の岐路になりつつある相棒との卒婚(要するに離婚ね)。
この2ヶ月間、私達は自分と相手から決して逃げることなく向き合い続けてきた。自分を見失いそうになったり、やり場の無い複雑な感情に押し流されそうになったり、例えようもない不安に号泣したりする中で何とか2人とも仕事をこなしていた・・・。
(たった2ヶ月のことなのか。ボー然。)
その間、私は東京に住む両親に自分達がこんな状態になっていることを全く話せないでいた。
うちの実家は商売をしていて、この時期とても忙しくただでさえ疲れているのにこんなこと話せなかったし、私たち自身もこれからどうすればいいのかが全く見えなかったこともあって、ひたすら隠し続けていたんだけど。
これがほんとに、辛かったんだよね〜。
母ちゃんなんか鋭くて、「あんた達仲良くやってんの?」なんて直球投げてくるから思わず顔もひきつるっちゅーの。
そう言えば私は昔から、人に相談するのが下手だった。
でも・・・よくよく考えると、私は今までどうしたらいいのか全くわからなくなって誰かに相談したいと思ったことが、無かった気がする。
もちろん迷うことはたくさんあった。でも、問題が起こるのとほぼ同時に、自分の中には選ぶべき道が見えているんだなぁ。それが最初はどんなにぼんやりと頼り無さそうでも、ゆっくり考えているうちに必ず確信に変わってくる。周りから「無理だよ」とか「やめたほうがいいよ」と思わず不安になりそうなことを言われたこともあったけど、まっさらな自分の心から出た答えはどんな時も力強く光っていた。
だから、私はいつも「事後報告」だ。
あっ
相棒はそれがとっても嫌だったらしい。
すまぬ。
そんなこんなで、先日やっと両親と弟に「私達、こんなことになってるよ〜」と打ち明けることができた。まだ離婚するとは決めてないけど別居は確実、お互いの人生設計が大きく違ってしまったことを淡々と話す私を、家族は驚きつつも静かに受け止めてくれた。
相棒のことを悪く言う人は誰もいない。うちの家族はみんな、彼が大好きだった。いや、今でもそうだ。
むしろ妻としては完全に「落第点」だった私に話題は集まる。でもだからと言って一方的に責められる事はなくって、最後には「仕方ないね」に収まっていた。
ああ・・・ほっとした。
本当に、肩の荷が降りたよ。
それにしてもうちの家族って・・・大人になったなぁ。
昔はこんなに穏やかじゃなかった。自分の本意でない方向に物事が動くと、力ずくで止めようとしたり変えようとしたりして相手をずいぶん傷つけ、自分も傷ついたものだった。
どんな事も起こり得る、だから起こったことをありのままに受け止める。
もしかしたらそんなことが出来るようになった時、「大人になった」って感じるのかも知れないな。
私達家族は、長年に渡ってぶつかり合い、血も涙もダーダー流して理解しあってきた。もうちょっと楽な方法があったはずだと、今思えば何て親不孝者だったんだろうと悔やむこともある。だけど全ては無駄じゃなかった。いちばん根っこのところで、自分を捨てても家族を守ろうとする愛が繋がっている。
相棒とも、そんな絆が結べれば良かったのかな?
ううん きっとこれで良かったんだと思う。私達が出会った意味がちゃんとあり、ここで別の道を行くならそれにもきちんと意味があるのだ。とても大切な意味がね。
だから、結婚したことを後悔したことはただの1度もない。
心の底から感謝しているんだよ。相棒よ、私と結婚してくれてありがとう!本当にありがとうね!!
近々、相棒と私は卒婚することになると思います。
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