こないだ、ギターの先生が言った。

「好きな人の前で、ギターなんか弾きませんよ!」



軽くビックリした私。だって、ギターを弾く先生の姿は彼女でもなんでもない私が見たってカッコイイと思う。もし彼女が見たら、絶対ホレ直すと思うんだけどなぁ〜・・・

そう言うと先生は、

「だって、ヤですよ。自分に酔ってるとか腕をひけらかしてるって思われそうじゃないっすか。すごく恥ずかしいっすよー。」

ふぅん、そうなんだ。

ああ・・・そうかも知れないなぁ。


私にも夢中になっていることがあって、今ではそれが仕事になった。でも、そう言えば好きな人にそれをちゃんとした形で見てもらったことはないぞ。見てもらいたい気持ちはあるけどそれはあくまでも「仕事中の姿」で、その人のためだけに目の前で披露する気にはなれない。嫌だ、恥ずかしい!!

これって、なかなか面白い感情だ。掘り下げていったら思いがけないものを見つけそう・・・。


自分が打ち込んでいるもの、「これがオレだぜ!!」っていうものをむちゃくちゃ惚れた人に見てもらうのに、ちょっと勇気がいるのはなぜだろう?

きっと、自分の全てだと言っても過言ではないほど大事にしているものを、惚れた相手に認めてもらえなかったらシャレにならないほどダメージが大きいからじゃないかしら。

あと、人によっては、サイコーに気持ち良くなって没頭している自分の姿が、他人から見てかっこいいとは限らないと思っていることもある。でもその場合、そう思っている本人が他人のそういう姿を「カッコ悪い」と思っている可能性大だ。ポリシーは自意識に繋がる。


でも思うに、それが恥ずかしいのは友達以上恋人未満の関係か、つき合いがまだ浅い時期じゃないだろうか。

好きな人に対して、こんなこと言ったら嫌われるかなとか、あんなことしたら引かれるかなって思うのは、恋愛の愉しみでもあり憂鬱でもある。相手の反応に一喜一憂しながら、時には自分を変えていくことさえ至福の喜びになる。

恋愛初期、その不安定感を受け入れて翻弄されるのがまさに「胸キュン」なのだ。本当に、心臓の真上がキューンと痛くなって、あとから大きなため息が漏れる・・・これって、男の人も全く同じ感覚なの?





そんな風になったら、あまり先のことばかり考えちゃいけない。

自分一人で勝手にストーリーを展開させても意味がない。だからただひたすら、今を味わえばいいだけだ。


うん?  それって

恋愛だけじゃないな。

いつも、どんな時でも、どんな現実でも「味わう」ことができるよ。

自分を誰かに伝えてそれを受け入れてもらえるってことは、生きていくことの醍醐味だろう。


でも



受け入れてもらえない人に想いを寄せることも、もっと強く生きてることを実感させてくれるだろう。

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