大風!大風!大風!(英雄メイキング面白い)
2004年5月31日あわわわ。 ご無沙汰でした。
ここ数日、身辺が慌しくてパソコンに向かう時間も心の余裕もなかったんだけど、おととい突然インターネットに接続できなくなった私のパソコン。何度立ち上げてもエラー表示が出てメールチェックもできず。色々調べたり試したりしてとうとうお手上げ、さっきやっとユーザーサポートに電話して教えてもらい復旧したところです。
大騒ぎした割には、あっけないほど単純な原因・・・LANケーブルの本体差込み口が、何かの加減で接触不良を起こしていたらしい。パソとモデムの電源落としてコンセントも抜いて、本体からケーブルをいったん外してからまた全部繋ぎ直して立ち上げたら、見事ネットに接続できました。ユーザーサポートのお兄さん、冷静かつ丁寧な応対で感激♪なんて頼れる存在なんでしょう。しかも10回までは無料。ああ、ありがとう!!
いやあ・・・・しかし。
いきなり来たこの蒸し暑さ、何なんでしょう。
そう、梅雨なんですね。
さあてと、ここ数日の出来事で印象に残ったことだけ、ちょこっとメモしとこうかな。
●友達●
しばらくご無沙汰していた友達に電話。主に離婚話についてじっくり喋る。つくづく感じたが、やはり人と言うのはみなそれぞれの現実を持っている。100人いれば100通りの真実が存在する。だからこの世に生きている限り、他人という小宇宙との交流は喜びでもあり苦痛でもある。特に自分を傷つけるもの、戒めるもの、束縛するものなどの苦痛に出会った時は、<情>を流し去り謙虚に向かい合いたい。そうすれば必ず自分の糧となる。
だから、自分にとって受け入れ難いものを思い出させてくれる友達は本当に有難い存在だ。だからこそ、そんなかけがえのない人達と、お互いの全てを完全に分かち合えるという幻想は捨てよう。私にはそういう傲慢なところがあるのだ。でもだからと言って、諦める必要も疑心暗鬼になる必要もない。宇宙には調和の法則が満ち溢れていることを忘れずにいよう。
●行動を起こす●
と、流れができる。流れに乗って新しい縁がやってくる。
この小さな出会いは私に何を運んでくるのだろう?
少し離れたところからじっと見る。それから少しずつ近づいてみる。子猫のような好奇心と警戒心でいっぱいだ。
●家●
家を買うことになるとは。
諸事情を検討した上で、流れに任せていた小さな中古マンション。いよいよ6月中には契約ができそうだ。決して経済的に余裕があるわけではなく、ましてやこれからは衣食住のいっさいを自分で切り盛りしていかなければならないので、今までのように休みの日にのんべんだらりとしてはいられない。
働け、自分。(けど、ほどほどにね♪)
ここ数日、身辺が慌しくてパソコンに向かう時間も心の余裕もなかったんだけど、おととい突然インターネットに接続できなくなった私のパソコン。何度立ち上げてもエラー表示が出てメールチェックもできず。色々調べたり試したりしてとうとうお手上げ、さっきやっとユーザーサポートに電話して教えてもらい復旧したところです。
大騒ぎした割には、あっけないほど単純な原因・・・LANケーブルの本体差込み口が、何かの加減で接触不良を起こしていたらしい。パソとモデムの電源落としてコンセントも抜いて、本体からケーブルをいったん外してからまた全部繋ぎ直して立ち上げたら、見事ネットに接続できました。ユーザーサポートのお兄さん、冷静かつ丁寧な応対で感激♪なんて頼れる存在なんでしょう。しかも10回までは無料。ああ、ありがとう!!
いやあ・・・・しかし。
いきなり来たこの蒸し暑さ、何なんでしょう。
そう、梅雨なんですね。
さあてと、ここ数日の出来事で印象に残ったことだけ、ちょこっとメモしとこうかな。
●友達●
しばらくご無沙汰していた友達に電話。主に離婚話についてじっくり喋る。つくづく感じたが、やはり人と言うのはみなそれぞれの現実を持っている。100人いれば100通りの真実が存在する。だからこの世に生きている限り、他人という小宇宙との交流は喜びでもあり苦痛でもある。特に自分を傷つけるもの、戒めるもの、束縛するものなどの苦痛に出会った時は、<情>を流し去り謙虚に向かい合いたい。そうすれば必ず自分の糧となる。
だから、自分にとって受け入れ難いものを思い出させてくれる友達は本当に有難い存在だ。だからこそ、そんなかけがえのない人達と、お互いの全てを完全に分かち合えるという幻想は捨てよう。私にはそういう傲慢なところがあるのだ。でもだからと言って、諦める必要も疑心暗鬼になる必要もない。宇宙には調和の法則が満ち溢れていることを忘れずにいよう。
●行動を起こす●
と、流れができる。流れに乗って新しい縁がやってくる。
この小さな出会いは私に何を運んでくるのだろう?
少し離れたところからじっと見る。それから少しずつ近づいてみる。子猫のような好奇心と警戒心でいっぱいだ。
●家●
家を買うことになるとは。
諸事情を検討した上で、流れに任せていた小さな中古マンション。いよいよ6月中には契約ができそうだ。決して経済的に余裕があるわけではなく、ましてやこれからは衣食住のいっさいを自分で切り盛りしていかなければならないので、今までのように休みの日にのんべんだらりとしてはいられない。
働け、自分。(けど、ほどほどにね♪)
新しい距離
2004年5月23日日曜日にしては、相棒も私も早く起きた。
ハムエッグとベジタブルスープとコーヒー、いつもの朝食を食べながらふたりでテレビを見て笑ったり突っ込んだり。
薄曇りの空からは乾いた涼しい風が入ってきて気持ちがいい。
うう〜ん、こんな穏やかで平凡な朝を迎えるのは久しぶり。
そう・・・2ヶ月ぶりだよ。
「スーツが欲しいなぁ。それと、革靴も擦り切れちゃった。」
相棒がボソッと言うので、今日はアウトレットモールにお買い物に行くことにした。
片道1時間半のドライブ。車はサクサクと高速を走り、その間私達はおちゃらけから人生論に至るまで色んな話をし続けた。
モールに着き、広い敷地にあるたくさんのお店を端から順に見て回り、5時間かけて相棒のスーツ2着と革靴をゲット。
スーツ選びを手伝ったり、
ざるそば定食を食べたり、
相棒がトイレから戻るのを待っていたり、
さっき見た店を探したり、
歩き疲れて入ったお店で、相棒はコロナビール私はケーキセットを食べながら楽しくおしゃべりしたり、
太平洋に夕陽が落ちていくのを眺めて「綺麗だね」と言ったりしながら・・・・。
私は
今まで味わったことのない、穏やかな心を見つけていた。
もうすぐ離婚届を出そうとしている2人は、それまでと全然変わらない眼差しでお互いを見つめていた。
ただ1つだけ違うのは
手を繋がないってことだけだった。
ハムエッグとベジタブルスープとコーヒー、いつもの朝食を食べながらふたりでテレビを見て笑ったり突っ込んだり。
薄曇りの空からは乾いた涼しい風が入ってきて気持ちがいい。
うう〜ん、こんな穏やかで平凡な朝を迎えるのは久しぶり。
そう・・・2ヶ月ぶりだよ。
「スーツが欲しいなぁ。それと、革靴も擦り切れちゃった。」
相棒がボソッと言うので、今日はアウトレットモールにお買い物に行くことにした。
片道1時間半のドライブ。車はサクサクと高速を走り、その間私達はおちゃらけから人生論に至るまで色んな話をし続けた。
モールに着き、広い敷地にあるたくさんのお店を端から順に見て回り、5時間かけて相棒のスーツ2着と革靴をゲット。
スーツ選びを手伝ったり、
ざるそば定食を食べたり、
相棒がトイレから戻るのを待っていたり、
さっき見た店を探したり、
歩き疲れて入ったお店で、相棒はコロナビール私はケーキセットを食べながら楽しくおしゃべりしたり、
太平洋に夕陽が落ちていくのを眺めて「綺麗だね」と言ったりしながら・・・・。
私は
今まで味わったことのない、穏やかな心を見つけていた。
もうすぐ離婚届を出そうとしている2人は、それまでと全然変わらない眼差しでお互いを見つめていた。
ただ1つだけ違うのは
手を繋がないってことだけだった。
びっくり箱を開けようか
2004年5月22日こないだ、ギターの先生が言った。
「好きな人の前で、ギターなんか弾きませんよ!」
軽くビックリした私。だって、ギターを弾く先生の姿は彼女でもなんでもない私が見たってカッコイイと思う。もし彼女が見たら、絶対ホレ直すと思うんだけどなぁ〜・・・
そう言うと先生は、
「だって、ヤですよ。自分に酔ってるとか腕をひけらかしてるって思われそうじゃないっすか。すごく恥ずかしいっすよー。」
ふぅん、そうなんだ。
ああ・・・そうかも知れないなぁ。
私にも夢中になっていることがあって、今ではそれが仕事になった。でも、そう言えば好きな人にそれをちゃんとした形で見てもらったことはないぞ。見てもらいたい気持ちはあるけどそれはあくまでも「仕事中の姿」で、その人のためだけに目の前で披露する気にはなれない。嫌だ、恥ずかしい!!
これって、なかなか面白い感情だ。掘り下げていったら思いがけないものを見つけそう・・・。
自分が打ち込んでいるもの、「これがオレだぜ!!」っていうものをむちゃくちゃ惚れた人に見てもらうのに、ちょっと勇気がいるのはなぜだろう?
きっと、自分の全てだと言っても過言ではないほど大事にしているものを、惚れた相手に認めてもらえなかったらシャレにならないほどダメージが大きいからじゃないかしら。
あと、人によっては、サイコーに気持ち良くなって没頭している自分の姿が、他人から見てかっこいいとは限らないと思っていることもある。でもその場合、そう思っている本人が他人のそういう姿を「カッコ悪い」と思っている可能性大だ。ポリシーは自意識に繋がる。
でも思うに、それが恥ずかしいのは友達以上恋人未満の関係か、つき合いがまだ浅い時期じゃないだろうか。
好きな人に対して、こんなこと言ったら嫌われるかなとか、あんなことしたら引かれるかなって思うのは、恋愛の愉しみでもあり憂鬱でもある。相手の反応に一喜一憂しながら、時には自分を変えていくことさえ至福の喜びになる。
恋愛初期、その不安定感を受け入れて翻弄されるのがまさに「胸キュン」なのだ。本当に、心臓の真上がキューンと痛くなって、あとから大きなため息が漏れる・・・これって、男の人も全く同じ感覚なの?
そんな風になったら、あまり先のことばかり考えちゃいけない。
自分一人で勝手にストーリーを展開させても意味がない。だからただひたすら、今を味わえばいいだけだ。
うん? それって
恋愛だけじゃないな。
いつも、どんな時でも、どんな現実でも「味わう」ことができるよ。
自分を誰かに伝えてそれを受け入れてもらえるってことは、生きていくことの醍醐味だろう。
でも
受け入れてもらえない人に想いを寄せることも、もっと強く生きてることを実感させてくれるだろう。
「好きな人の前で、ギターなんか弾きませんよ!」
軽くビックリした私。だって、ギターを弾く先生の姿は彼女でもなんでもない私が見たってカッコイイと思う。もし彼女が見たら、絶対ホレ直すと思うんだけどなぁ〜・・・
そう言うと先生は、
「だって、ヤですよ。自分に酔ってるとか腕をひけらかしてるって思われそうじゃないっすか。すごく恥ずかしいっすよー。」
ふぅん、そうなんだ。
ああ・・・そうかも知れないなぁ。
私にも夢中になっていることがあって、今ではそれが仕事になった。でも、そう言えば好きな人にそれをちゃんとした形で見てもらったことはないぞ。見てもらいたい気持ちはあるけどそれはあくまでも「仕事中の姿」で、その人のためだけに目の前で披露する気にはなれない。嫌だ、恥ずかしい!!
これって、なかなか面白い感情だ。掘り下げていったら思いがけないものを見つけそう・・・。
自分が打ち込んでいるもの、「これがオレだぜ!!」っていうものをむちゃくちゃ惚れた人に見てもらうのに、ちょっと勇気がいるのはなぜだろう?
きっと、自分の全てだと言っても過言ではないほど大事にしているものを、惚れた相手に認めてもらえなかったらシャレにならないほどダメージが大きいからじゃないかしら。
あと、人によっては、サイコーに気持ち良くなって没頭している自分の姿が、他人から見てかっこいいとは限らないと思っていることもある。でもその場合、そう思っている本人が他人のそういう姿を「カッコ悪い」と思っている可能性大だ。ポリシーは自意識に繋がる。
でも思うに、それが恥ずかしいのは友達以上恋人未満の関係か、つき合いがまだ浅い時期じゃないだろうか。
好きな人に対して、こんなこと言ったら嫌われるかなとか、あんなことしたら引かれるかなって思うのは、恋愛の愉しみでもあり憂鬱でもある。相手の反応に一喜一憂しながら、時には自分を変えていくことさえ至福の喜びになる。
恋愛初期、その不安定感を受け入れて翻弄されるのがまさに「胸キュン」なのだ。本当に、心臓の真上がキューンと痛くなって、あとから大きなため息が漏れる・・・これって、男の人も全く同じ感覚なの?
そんな風になったら、あまり先のことばかり考えちゃいけない。
自分一人で勝手にストーリーを展開させても意味がない。だからただひたすら、今を味わえばいいだけだ。
うん? それって
恋愛だけじゃないな。
いつも、どんな時でも、どんな現実でも「味わう」ことができるよ。
自分を誰かに伝えてそれを受け入れてもらえるってことは、生きていくことの醍醐味だろう。
でも
受け入れてもらえない人に想いを寄せることも、もっと強く生きてることを実感させてくれるだろう。
磨かれて出る光
2004年5月21日いえ〜い!!
きたきた、 来たわよ〜っ!!!
色んなものが「来た」ことを想像されたでしょう。
が。
違います。
待ちに待ったものが、今日届いたのですよ♪
本日発売・山弦のニューアルバム「Island Made」。
ネットで予約しておいたのがもう届いたのですっ!
ウホホホ♪ 嬉しー!
でもあまりの嬉さと、根が貧乏性な私は、もったいなくて真新しいフィルムを破くことが出来ずにいる。ああ、まるで初恋の人から初めてもらったラブレターのように・・・。(謎)
明日、相棒は朝から仕事。私はもちろん待ちに待ったお休み。このCDをプレイヤーに滑り込ませる至福の瞬間は、明日の最大のお楽しみに取っておこうっと。うふ♪
う〜む、しばらくはこれがヘビロテだなぁ。なんたって来月22日にはライブだもん、しっかり聞き込んで行って当日はあの魔法のような指使いに集中したいものだ。
さて、昨日のことだけれども
夜、仕事が終わって相棒に電話をしてみたら、向こうもちょうど家に帰る途中だった。結構近くにいたから、待ち合わせてご飯を食べに行った。
実は一昨日、いても立ってもいられなくなった東京の父がこっちに来て、相棒と会って話をしたのだ。
妻の父と会って離婚について話すと言うヘビーなハードルを1つ越えた相棒も、その翌日に父とサシでじっくり話してしみじみと色んなことを考えさせられた私も、何だかすっかり疲れちゃってね・・・。2人ともあまり食欲もなく、口数も少なかった。
それでもポツリポツリと出てくる言葉は、相手を思いやるものばかり・・・。次第に2人の顔に笑顔が浮かんでくるのだった。
食べ終わり、コーヒーを飲む頃になると何だかすっかり元気になっていた。仕事のこと、友達のこと、お互いの家族のことやこれからの成り行きなんかを、ゆっくり話すことができた。
私達は今、離婚を前提にお付き合いしている(笑)。
最近は2人の間に漂っていた「悲壮感」が抜けてきた感じがする。暗闇に取り残されるような不安や、出口の見えない迷路を歩き続けるような恐れに苛まれることが無くなってきた。
その代わりこれからは、お互いの家族を含めて身近にいる人たちのフォローをきちんとしなければいけない。私達の辛さを、まるで自分のことのように悲しんでくれる人たちに、少しでも安心してもらえるように・・・。
そういうことも含めて、この先しばらくは消耗することが多いだろうね〜なんて相棒と話す。お互いに乗り越えていこうと励ましあう。
夫婦になって15年間、2人はこうやっていろーんなことをクリアしてきたわけだけど、今度は夫婦じゃなくなったからと言ってとたんに他人になってしまうわけじゃない。私にとって彼は、自分の全てをさらけ出せる心の支えであり、彼にとっての私も同じ。
何だ、それなら離婚なんてしなきゃいいじゃないかという意見も多数ありそうだ。確かにそんな気もする。うん、そうなのかも知れない。
でも今の私達が選ぶことができる道は、こっちみたいよ。(←他人事?)
要するにね、2人ともまだまだ若いってことよ。ケツが青いのね。だって離婚なんてものすごくエネルギーいる事をしようとして、ズンズン突き進んでるんだから。気力と体力が無きゃやってらんないわよね。たぶん20年後には「あの時は若気の至りでバカなことしたわね〜」なんて言ってるんじゃないかなぁ?
しかも
隣に同じ人がいて・・・。
明日のことさえわからない人生
映画よりも小説よりも、ずっとずっと面白いこの<ライブパフォーマンス>。
やっぱりやめられないわ!!
きたきた、 来たわよ〜っ!!!
色んなものが「来た」ことを想像されたでしょう。
が。
違います。
待ちに待ったものが、今日届いたのですよ♪
本日発売・山弦のニューアルバム「Island Made」。
ネットで予約しておいたのがもう届いたのですっ!
ウホホホ♪ 嬉しー!
でもあまりの嬉さと、根が貧乏性な私は、もったいなくて真新しいフィルムを破くことが出来ずにいる。ああ、まるで初恋の人から初めてもらったラブレターのように・・・。(謎)
明日、相棒は朝から仕事。私はもちろん待ちに待ったお休み。このCDをプレイヤーに滑り込ませる至福の瞬間は、明日の最大のお楽しみに取っておこうっと。うふ♪
う〜む、しばらくはこれがヘビロテだなぁ。なんたって来月22日にはライブだもん、しっかり聞き込んで行って当日はあの魔法のような指使いに集中したいものだ。
さて、昨日のことだけれども
夜、仕事が終わって相棒に電話をしてみたら、向こうもちょうど家に帰る途中だった。結構近くにいたから、待ち合わせてご飯を食べに行った。
実は一昨日、いても立ってもいられなくなった東京の父がこっちに来て、相棒と会って話をしたのだ。
妻の父と会って離婚について話すと言うヘビーなハードルを1つ越えた相棒も、その翌日に父とサシでじっくり話してしみじみと色んなことを考えさせられた私も、何だかすっかり疲れちゃってね・・・。2人ともあまり食欲もなく、口数も少なかった。
それでもポツリポツリと出てくる言葉は、相手を思いやるものばかり・・・。次第に2人の顔に笑顔が浮かんでくるのだった。
食べ終わり、コーヒーを飲む頃になると何だかすっかり元気になっていた。仕事のこと、友達のこと、お互いの家族のことやこれからの成り行きなんかを、ゆっくり話すことができた。
私達は今、離婚を前提にお付き合いしている(笑)。
最近は2人の間に漂っていた「悲壮感」が抜けてきた感じがする。暗闇に取り残されるような不安や、出口の見えない迷路を歩き続けるような恐れに苛まれることが無くなってきた。
その代わりこれからは、お互いの家族を含めて身近にいる人たちのフォローをきちんとしなければいけない。私達の辛さを、まるで自分のことのように悲しんでくれる人たちに、少しでも安心してもらえるように・・・。
そういうことも含めて、この先しばらくは消耗することが多いだろうね〜なんて相棒と話す。お互いに乗り越えていこうと励ましあう。
夫婦になって15年間、2人はこうやっていろーんなことをクリアしてきたわけだけど、今度は夫婦じゃなくなったからと言ってとたんに他人になってしまうわけじゃない。私にとって彼は、自分の全てをさらけ出せる心の支えであり、彼にとっての私も同じ。
何だ、それなら離婚なんてしなきゃいいじゃないかという意見も多数ありそうだ。確かにそんな気もする。うん、そうなのかも知れない。
でも今の私達が選ぶことができる道は、こっちみたいよ。(←他人事?)
要するにね、2人ともまだまだ若いってことよ。ケツが青いのね。だって離婚なんてものすごくエネルギーいる事をしようとして、ズンズン突き進んでるんだから。気力と体力が無きゃやってらんないわよね。たぶん20年後には「あの時は若気の至りでバカなことしたわね〜」なんて言ってるんじゃないかなぁ?
しかも
隣に同じ人がいて・・・。
明日のことさえわからない人生
映画よりも小説よりも、ずっとずっと面白いこの<ライブパフォーマンス>。
やっぱりやめられないわ!!
舵を取れ〜、ようそろ〜!
2004年5月18日「詳しいことはまた後で」な〜んちって、あれよあれよと言う間に3日も経っちゃった。
毎日が浦島太郎気分♪ うふっ♪ (なんで「うふ」やねん)
さあて、くだらない”ひとりボケツッコミ”なんかしてないで、書いておこう! 私が肩の荷を降ろした話を。
しばらく日記には書いていなかった、私の人生最大の岐路になりつつある相棒との卒婚(要するに離婚ね)。
この2ヶ月間、私達は自分と相手から決して逃げることなく向き合い続けてきた。自分を見失いそうになったり、やり場の無い複雑な感情に押し流されそうになったり、例えようもない不安に号泣したりする中で何とか2人とも仕事をこなしていた・・・。
(たった2ヶ月のことなのか。ボー然。)
その間、私は東京に住む両親に自分達がこんな状態になっていることを全く話せないでいた。
うちの実家は商売をしていて、この時期とても忙しくただでさえ疲れているのにこんなこと話せなかったし、私たち自身もこれからどうすればいいのかが全く見えなかったこともあって、ひたすら隠し続けていたんだけど。
これがほんとに、辛かったんだよね〜。
母ちゃんなんか鋭くて、「あんた達仲良くやってんの?」なんて直球投げてくるから思わず顔もひきつるっちゅーの。
そう言えば私は昔から、人に相談するのが下手だった。
でも・・・よくよく考えると、私は今までどうしたらいいのか全くわからなくなって誰かに相談したいと思ったことが、無かった気がする。
もちろん迷うことはたくさんあった。でも、問題が起こるのとほぼ同時に、自分の中には選ぶべき道が見えているんだなぁ。それが最初はどんなにぼんやりと頼り無さそうでも、ゆっくり考えているうちに必ず確信に変わってくる。周りから「無理だよ」とか「やめたほうがいいよ」と思わず不安になりそうなことを言われたこともあったけど、まっさらな自分の心から出た答えはどんな時も力強く光っていた。
だから、私はいつも「事後報告」だ。
あっ
相棒はそれがとっても嫌だったらしい。
すまぬ。しゃーないやん
そんなこんなで、先日やっと両親と弟に「私達、こんなことになってるよ〜」と打ち明けることができた。まだ離婚するとは決めてないけど別居は確実、お互いの人生設計が大きく違ってしまったことを淡々と話す私を、家族は驚きつつも静かに受け止めてくれた。
相棒のことを悪く言う人は誰もいない。うちの家族はみんな、彼が大好きだった。いや、今でもそうだ。
むしろ妻としては完全に「落第点」だった私に話題は集まる。でもだからと言って一方的に責められる事はなくって、最後には「仕方ないね」に収まっていた。
ああ・・・ほっとした。
本当に、肩の荷が降りたよ。
それにしてもうちの家族って・・・大人になったなぁ。
昔はこんなに穏やかじゃなかった。自分の本意でない方向に物事が動くと、力ずくで止めようとしたり変えようとしたりして相手をずいぶん傷つけ、自分も傷ついたものだった。
どんな事も起こり得る、だから起こったことをありのままに受け止める。
もしかしたらそんなことが出来るようになった時、「大人になった」って感じるのかも知れないな。
私達家族は、長年に渡ってぶつかり合い、血も涙もダーダー流して理解しあってきた。もうちょっと楽な方法があったはずだと、今思えば何て親不孝者だったんだろうと悔やむこともある。だけど全ては無駄じゃなかった。いちばん根っこのところで、自分を捨てても家族を守ろうとする愛が繋がっている。
相棒とも、そんな絆が結べれば良かったのかな?
ううん きっとこれで良かったんだと思う。私達が出会った意味がちゃんとあり、ここで別の道を行くならそれにもきちんと意味があるのだ。とても大切な意味がね。
だから、結婚したことを後悔したことはただの1度もない。
心の底から感謝しているんだよ。相棒よ、私と結婚してくれてありがとう!本当にありがとうね!!
近々、相棒と私は卒婚することになると思います。
毎日が浦島太郎気分♪ うふっ♪ (なんで「うふ」やねん)
さあて、くだらない”ひとりボケツッコミ”なんかしてないで、書いておこう! 私が肩の荷を降ろした話を。
しばらく日記には書いていなかった、私の人生最大の岐路になりつつある相棒との卒婚(要するに離婚ね)。
この2ヶ月間、私達は自分と相手から決して逃げることなく向き合い続けてきた。自分を見失いそうになったり、やり場の無い複雑な感情に押し流されそうになったり、例えようもない不安に号泣したりする中で何とか2人とも仕事をこなしていた・・・。
(たった2ヶ月のことなのか。ボー然。)
その間、私は東京に住む両親に自分達がこんな状態になっていることを全く話せないでいた。
うちの実家は商売をしていて、この時期とても忙しくただでさえ疲れているのにこんなこと話せなかったし、私たち自身もこれからどうすればいいのかが全く見えなかったこともあって、ひたすら隠し続けていたんだけど。
これがほんとに、辛かったんだよね〜。
母ちゃんなんか鋭くて、「あんた達仲良くやってんの?」なんて直球投げてくるから思わず顔もひきつるっちゅーの。
そう言えば私は昔から、人に相談するのが下手だった。
でも・・・よくよく考えると、私は今までどうしたらいいのか全くわからなくなって誰かに相談したいと思ったことが、無かった気がする。
もちろん迷うことはたくさんあった。でも、問題が起こるのとほぼ同時に、自分の中には選ぶべき道が見えているんだなぁ。それが最初はどんなにぼんやりと頼り無さそうでも、ゆっくり考えているうちに必ず確信に変わってくる。周りから「無理だよ」とか「やめたほうがいいよ」と思わず不安になりそうなことを言われたこともあったけど、まっさらな自分の心から出た答えはどんな時も力強く光っていた。
だから、私はいつも「事後報告」だ。
あっ
相棒はそれがとっても嫌だったらしい。
すまぬ。
そんなこんなで、先日やっと両親と弟に「私達、こんなことになってるよ〜」と打ち明けることができた。まだ離婚するとは決めてないけど別居は確実、お互いの人生設計が大きく違ってしまったことを淡々と話す私を、家族は驚きつつも静かに受け止めてくれた。
相棒のことを悪く言う人は誰もいない。うちの家族はみんな、彼が大好きだった。いや、今でもそうだ。
むしろ妻としては完全に「落第点」だった私に話題は集まる。でもだからと言って一方的に責められる事はなくって、最後には「仕方ないね」に収まっていた。
ああ・・・ほっとした。
本当に、肩の荷が降りたよ。
それにしてもうちの家族って・・・大人になったなぁ。
昔はこんなに穏やかじゃなかった。自分の本意でない方向に物事が動くと、力ずくで止めようとしたり変えようとしたりして相手をずいぶん傷つけ、自分も傷ついたものだった。
どんな事も起こり得る、だから起こったことをありのままに受け止める。
もしかしたらそんなことが出来るようになった時、「大人になった」って感じるのかも知れないな。
私達家族は、長年に渡ってぶつかり合い、血も涙もダーダー流して理解しあってきた。もうちょっと楽な方法があったはずだと、今思えば何て親不孝者だったんだろうと悔やむこともある。だけど全ては無駄じゃなかった。いちばん根っこのところで、自分を捨てても家族を守ろうとする愛が繋がっている。
相棒とも、そんな絆が結べれば良かったのかな?
ううん きっとこれで良かったんだと思う。私達が出会った意味がちゃんとあり、ここで別の道を行くならそれにもきちんと意味があるのだ。とても大切な意味がね。
だから、結婚したことを後悔したことはただの1度もない。
心の底から感謝しているんだよ。相棒よ、私と結婚してくれてありがとう!本当にありがとうね!!
近々、相棒と私は卒婚することになると思います。
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スッキリ。
2004年5月16日そぼ降る雨の音が心地よい東京の朝〜♪
実家というのは不思議なもんだな。いつどんな時でも変わらぬ包容力を持っていてくれ、良くも悪くも心が素っ裸にされる感じがする。原点に引き戻してくれる。
ああ・・・何とも清々しく落ち着いた気持ちだ。
それは昨日の夜、大きな大きな肩の荷をやっと降ろすことができたからなのだー!!
詳しいことは、もう出かけなきゃならないのでまた後でね。
よしっ、今日も一日楽しく過ごしてくるぞ〜!
実家というのは不思議なもんだな。いつどんな時でも変わらぬ包容力を持っていてくれ、良くも悪くも心が素っ裸にされる感じがする。原点に引き戻してくれる。
ああ・・・何とも清々しく落ち着いた気持ちだ。
それは昨日の夜、大きな大きな肩の荷をやっと降ろすことができたからなのだー!!
詳しいことは、もう出かけなきゃならないのでまた後でね。
よしっ、今日も一日楽しく過ごしてくるぞ〜!
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Time is money?
2004年5月13日ああ本当に、
毎週の 毎日の 毎時間の
何と早く過ぎ去っていくことか!!!
そう思う時にいつも、鍼の先生が言っていたことを思い出す。
「ティダさんなぁ、僕最近な、普通の時間感覚っちゅーもんが無くなるねん。10年前のこととか先週のこととか、つい1時間前のことなんかが渾然一体となるっちゅーか、時系列を越えてしまう感覚やねんな。ティダさんもあるやるろ?そういう事。これからもっと増えてくんねんでー。わはははは。」
確かに、時間の感覚がまるで無くなる事はけっこうある。
ボーっとしていてはっと気付いたらけっこう時間が経っていたとか、ある出来事が先月のことだったか3ヶ月前のことだったかよくわかんないとか、すごく辛い事があったのはいつで楽しくて仕方なかったのがいつのことだったかなんてどうでもよくなったりとか・・・。
でもそれって、ボケちゃいますのん?危ないじゃないですか、センセー!
な〜んて、半分茶化すように言っていたあの時の私・・・
でもその裏に、とても大切なことが隠れていることも感じていたのだった。
確かに人は、自分の行動や記憶を一貫して把握できない状況になると「私の頭、大丈夫かしら?」なんて不安になったり、そこに仕事が絡んでたりすると「能力が無い」とか「迷惑かけられた」なんて他人を責めたりする。
そりゃそうだ。社会生活には「一貫性」が欠かせない。
でも、私の好きな作家・玄侑宗久さんはそれについて著書の中でひとつの明確な見方を示してくれている。
芥川賞作家でありながら禅宗の僧侶であるというユニークな玄侑さんによると、時間とは「人間にとって最大で最後の煩悩」だそうだ。
人間は、潜在意識の部分で時間感覚を「排列」と「経歴(きょうりゃく)」という形で作り上げている。
そう、自分の存在を認識するために欠かせない「一貫性」を求めて勝手に作り上げているのだ。
「排列」っていうのは「昨日寝て今日起きた」というようなことで、寝た時も起きた時もそれぞれは「今」という瞬間のはずが、こう表現することによって初めて「時間」が流れたことになる。あまりにも当たり前のことだから、私達は普段そんなことに疑問を投げかけることなんて無いけれどね。
「経歴」についてはもうちょっと思い当たることも多くて、例えば「昔は苦しかったけど今では楽しいことばかり」と言ったとする。でも本当は、苦しい日々にも美味しいものを食べたり遊びに行ったりした楽しい時もあれば、楽しい今でもちょくちょく辛いことがあるだろう。でも、起こったこと全てを話してたら膨大な量になって到底まとまらない。日常生活で何かと一貫性を求めたくなる私達は、時間認識についてかなり大胆に省略したり並べ替えたりしている訳だ〜。
そして、その選択方法は至って流動的。だって「その時の気分」で過去の認識も未来の希望もコロコロ変わってしまうのだから。
こんな風に私達が絶えず縛られている「時間」は、唯識仏教でいう「マナ識」いわゆる「潜在意識」の部分で作られていて自己の存在に一貫性を持たせようとしているんだけど、その1つ上というか奥にある「アーラヤ識」ユングの言う「集合的無意識」は更に深く大きく、そこには全ての経験の印象が保存されている。そこでは時間が「排列」されたり「経歴」されることなく、ただただ存在しているのだろう。
年齢も性別も、経験も人種も国家すら超えた「人間」の大きな大きな無意識の繋がり・・・私は昔からその存在を意識していた。というか、そこを意識しないと納得できないようなことが幾つもあった。そう感じる人は、少なくないんじゃないかなぁ?
そこで、鍼の先生だ。
あの時、治療が終わって待合室でお茶なんか頂いてるときにフラッとやって来て、さっきの話を何の前触れも無くボソッと言い残してまた患者さんの治療に戻って行ったっけ・・・。
今になって、先生が言いたかったことがもっと良くわかった気がするよ。たぶん先生は意識の通りが良くなるとどんどん深いところまで行けるよ、繋がれるよって伝えたかったんじゃないかな〜なんて思う。
そんなところから見る自分は、この世界は、どんなものなのだろうか。まだまだ想像の域を出ないけど、何だかワクワクしちゃうのだ。
なんてことをつらつら書いていたら、もうこんな時間!
メシ食って仕事に行く支度をしなくっちゃ!
ああ本当に 時間ってヤツは・・・。
毎週の 毎日の 毎時間の
何と早く過ぎ去っていくことか!!!
そう思う時にいつも、鍼の先生が言っていたことを思い出す。
「ティダさんなぁ、僕最近な、普通の時間感覚っちゅーもんが無くなるねん。10年前のこととか先週のこととか、つい1時間前のことなんかが渾然一体となるっちゅーか、時系列を越えてしまう感覚やねんな。ティダさんもあるやるろ?そういう事。これからもっと増えてくんねんでー。わはははは。」
確かに、時間の感覚がまるで無くなる事はけっこうある。
ボーっとしていてはっと気付いたらけっこう時間が経っていたとか、ある出来事が先月のことだったか3ヶ月前のことだったかよくわかんないとか、すごく辛い事があったのはいつで楽しくて仕方なかったのがいつのことだったかなんてどうでもよくなったりとか・・・。
でもそれって、ボケちゃいますのん?危ないじゃないですか、センセー!
な〜んて、半分茶化すように言っていたあの時の私・・・
でもその裏に、とても大切なことが隠れていることも感じていたのだった。
確かに人は、自分の行動や記憶を一貫して把握できない状況になると「私の頭、大丈夫かしら?」なんて不安になったり、そこに仕事が絡んでたりすると「能力が無い」とか「迷惑かけられた」なんて他人を責めたりする。
そりゃそうだ。社会生活には「一貫性」が欠かせない。
でも、私の好きな作家・玄侑宗久さんはそれについて著書の中でひとつの明確な見方を示してくれている。
芥川賞作家でありながら禅宗の僧侶であるというユニークな玄侑さんによると、時間とは「人間にとって最大で最後の煩悩」だそうだ。
人間は、潜在意識の部分で時間感覚を「排列」と「経歴(きょうりゃく)」という形で作り上げている。
そう、自分の存在を認識するために欠かせない「一貫性」を求めて勝手に作り上げているのだ。
「排列」っていうのは「昨日寝て今日起きた」というようなことで、寝た時も起きた時もそれぞれは「今」という瞬間のはずが、こう表現することによって初めて「時間」が流れたことになる。あまりにも当たり前のことだから、私達は普段そんなことに疑問を投げかけることなんて無いけれどね。
「経歴」についてはもうちょっと思い当たることも多くて、例えば「昔は苦しかったけど今では楽しいことばかり」と言ったとする。でも本当は、苦しい日々にも美味しいものを食べたり遊びに行ったりした楽しい時もあれば、楽しい今でもちょくちょく辛いことがあるだろう。でも、起こったこと全てを話してたら膨大な量になって到底まとまらない。日常生活で何かと一貫性を求めたくなる私達は、時間認識についてかなり大胆に省略したり並べ替えたりしている訳だ〜。
そして、その選択方法は至って流動的。だって「その時の気分」で過去の認識も未来の希望もコロコロ変わってしまうのだから。
こんな風に私達が絶えず縛られている「時間」は、唯識仏教でいう「マナ識」いわゆる「潜在意識」の部分で作られていて自己の存在に一貫性を持たせようとしているんだけど、その1つ上というか奥にある「アーラヤ識」ユングの言う「集合的無意識」は更に深く大きく、そこには全ての経験の印象が保存されている。そこでは時間が「排列」されたり「経歴」されることなく、ただただ存在しているのだろう。
年齢も性別も、経験も人種も国家すら超えた「人間」の大きな大きな無意識の繋がり・・・私は昔からその存在を意識していた。というか、そこを意識しないと納得できないようなことが幾つもあった。そう感じる人は、少なくないんじゃないかなぁ?
そこで、鍼の先生だ。
あの時、治療が終わって待合室でお茶なんか頂いてるときにフラッとやって来て、さっきの話を何の前触れも無くボソッと言い残してまた患者さんの治療に戻って行ったっけ・・・。
今になって、先生が言いたかったことがもっと良くわかった気がするよ。たぶん先生は意識の通りが良くなるとどんどん深いところまで行けるよ、繋がれるよって伝えたかったんじゃないかな〜なんて思う。
そんなところから見る自分は、この世界は、どんなものなのだろうか。まだまだ想像の域を出ないけど、何だかワクワクしちゃうのだ。
なんてことをつらつら書いていたら、もうこんな時間!
メシ食って仕事に行く支度をしなくっちゃ!
ああ本当に 時間ってヤツは・・・。
優しい朝
2004年5月9日まだ意識は遠く夢の中
その 夢の中でさえ答えを探す
探しているつもりはないのに
気付いたら必死で
そうして目覚めてから気付いた
夢が私を慰めてくれたこと
血圧の上がらない頭で
フラフラとトイレに行き
部屋に戻り
ボー
ああ 何だか嬉しい
えへへへ (←絶対ブキミ)
午後遅くから 会った友達に
今度ははっきりと癒される
腹の底から笑って ヒザをバンバン叩いて
私の乗る船が
来たかも知れないよ
その 夢の中でさえ答えを探す
探しているつもりはないのに
気付いたら必死で
そうして目覚めてから気付いた
夢が私を慰めてくれたこと
血圧の上がらない頭で
フラフラとトイレに行き
部屋に戻り
ボー
ああ 何だか嬉しい
えへへへ (←絶対ブキミ)
午後遅くから 会った友達に
今度ははっきりと癒される
腹の底から笑って ヒザをバンバン叩いて
私の乗る船が
来たかも知れないよ
熱烈ラブコール
2004年5月8日眠い・・・
ねむねむビームが出まくりだ・・・
今日。
朝10時に心斎橋ビッグキャット。
ギターの先生と一緒に、山弦のチケット取ってきましたっ!!!
いえーい、やったぜー!嬉しいぞー!!
去年の11月、初めて彼らのステージを見てから・・・いや、その前からCD聞いて「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!」とショックを受けすっかり虜になっていた彼らのライブがまた見られるぅ♪
6月22日が待ち遠しいな。
この整理番号からすると、最悪でも前から3列目には座れるぞ!
とギターの先生もコーフン気味。
ああ、またあの神業的な指さばきを目の前で見ることができるのね。7月のチキンジョージも行っちゃうもんね。
アコギを始めてから、先生に教えてもらって知った山弦は男性2人のギターデュオ。繊細でありながら大胆なその音色は、いつでもどこでも私を別世界へ連れて行ってくれる♪
ううっ。同じ時代に生まれてこれて良かったよー。
と感動しつつも
仮にもアコギを弾く私としては、彼らの曲に挑戦して見たい。
速攻、挫折するんだけど。
ええーい、指があと2、3本多けりゃ弾けるわよ。
(それをコントロールする脳ミソが足りないか)
よしっ! 練習だ!
弾いて弾いて 弾きまくるのだ!
でも・・・・
眠い。
だめだこりゃ。
ねむねむビームが出まくりだ・・・
今日。
朝10時に心斎橋ビッグキャット。
ギターの先生と一緒に、山弦のチケット取ってきましたっ!!!
いえーい、やったぜー!嬉しいぞー!!
去年の11月、初めて彼らのステージを見てから・・・いや、その前からCD聞いて「なんじゃこりゃぁぁぁぁ!」とショックを受けすっかり虜になっていた彼らのライブがまた見られるぅ♪
6月22日が待ち遠しいな。
この整理番号からすると、最悪でも前から3列目には座れるぞ!
とギターの先生もコーフン気味。
ああ、またあの神業的な指さばきを目の前で見ることができるのね。7月のチキンジョージも行っちゃうもんね。
アコギを始めてから、先生に教えてもらって知った山弦は男性2人のギターデュオ。繊細でありながら大胆なその音色は、いつでもどこでも私を別世界へ連れて行ってくれる♪
ううっ。同じ時代に生まれてこれて良かったよー。
と感動しつつも
仮にもアコギを弾く私としては、彼らの曲に挑戦して見たい。
速攻、挫折するんだけど。
ええーい、指があと2、3本多けりゃ弾けるわよ。
(それをコントロールする脳ミソが足りないか)
よしっ! 練習だ!
弾いて弾いて 弾きまくるのだ!
でも・・・・
眠い。
だめだこりゃ。
美学ってやつ?
2004年5月7日「できる」ということには種類がある
全力で頑張って何とか「できる」ことと
8割くらいの力で余裕を持って「できる」こと
そこで
自分は何が「できる」のかを考えてもみる
幾つか数え上げて
その中から
全力でいっぱいいっぱいになって
やっと「できる」ことはリストから外した
もしも誰かに
「あなたのできることは何ですか?」と聞かれたら
8割の力でできることだけを
はにかみながらそっと言おう
そして
自分と同じことができるという人に出会ったら
決して多くを語らずに
見つめ合って ニンマリ 笑おう
全力で頑張って何とか「できる」ことと
8割くらいの力で余裕を持って「できる」こと
そこで
自分は何が「できる」のかを考えてもみる
幾つか数え上げて
その中から
全力でいっぱいいっぱいになって
やっと「できる」ことはリストから外した
もしも誰かに
「あなたのできることは何ですか?」と聞かれたら
8割の力でできることだけを
はにかみながらそっと言おう
そして
自分と同じことができるという人に出会ったら
決して多くを語らずに
見つめ合って ニンマリ 笑おう
また会えたね、いつか会ったね
2004年5月6日新しい出会いは、いつもドキドキワクワクする。
こないだの日曜日、ゴールデンウィーク真っ只中の東京でそんな嬉しい出来事が私に訪れた。
自分の思うことや感じることを素直に表現していたら、その人はふわりと私の前にやってきた。言葉を超えた直感の部分ですんなりと打ち解けあった私達・・・心地よいメールのやり取りが続いてから、とうとうこの日会うことができたのだった。
待ち合わせのロータリー、彼女は今時めずらしく携帯を持っていないと言う。
「黒いワンピースを着た、コロッケ似の私を探して下さい。」
待ち合わせの5分前に着いた私は「コロッケ似の人、コロッケ似の・・・」とブツブツつぶやきながら黒いワンピースの人を片っ端からチェックしていった。
しかし。コロッケ似の女性って・・・? ううむ。
見渡すと、黒いワンピースを着た人って意外と少ないのだ。ようやく1人見つけたけれど全然コロッケに似ていないし。
待ち合わせを10分も過ぎるとさすがに焦る。相手には私の服装も伝えてあるし、誰も声を掛けてこないということは遅れてるのかな・・・。
人が多すぎる。行き交う人の波でクラクラしてくる。
その時。人の流れが途切れた(ように感じた)一瞬・・・さっきの黒ワンピースの女性と目が合い、2人は同時に小首を傾げた。
「ん?」
笑いながら近づく。その人だった!
「ティダさんですか?」
「そうです〜初めまして!それにしてもちっともコロッケに似てないですよ〜!!」
そう、コロッケと聞いて私が想像していたのはなぜか岩崎ひろみの物まね。涼しい眼の、とても綺麗な顔立ちの彼女とは程遠かったの・・・(泣)
ともかく、無事に会えて良かった良かった♪
それから私達は行楽弁当を買い込み、春の陽射しが降り注ぐ新緑の公園へ向かった。
人は初対面の人と会うとき、自分との相性を最初の一瞬で直感的に判断している。言葉も笑顔も超えて、相手のことを全く知らない真っ白な状態で通じ合う何か。目や耳を使わない情報交換はダイレクトに心に響いてくる。
人によってその強弱が違うし、その直感にどのくらい重きを置くかも違う。
私の場合、かなり子供の時から自分の直感を信じ大切にしていた。それは反面、簡単に人を決め付けやすいと言う欠点でもあるけれど、大人になるにつれ色んな経験をしてそこに柔軟性が生まれて、上手くバランスを取れるようになったと思う。
お弁当をぶら下げて歩きながら、私は最初に感じた直感が確信に変わっていくのを味わっていた。ああ・・・この人と出会えてよかった!
それはもう理屈ではない。あれ、理屈じゃないって言葉、3日の日記にも書いたなぁ・・・なんだかいいな。好きだな。
おっと話がそれたけど
人との付き合いで、相手の何に焦点を合わせるかって大切だ。
友達でも上司でも恋人でも、自分の持っている波長と合う人を自然に引き寄せるから、今周りにいる人たちはみんな自分の鏡。たとえ嫌だと思う人でも、ちょっと角度を変えて見れば自分を成長させてくれるありがた〜い先生だ。
そしてもちろん、この日出会えた人のように初対面からすぅーっと受け入れられる人は本当に貴重だ。大切にしていきたいな。
彼女は、ひとつひとつの言葉をとてもていねいに話す。
少し押さえたような落ち着いた口調は、すぐに内に秘めたものを連想させた。それを正面からきちんと見据えている。
私とは全く違う生活を送っていて、これまでの人生も対照的と言ってもいいくらいなのにこの「しっくり感」は何だろう。
彼女の持つ何かが、私を引き寄せた。
私の持つ何かが、彼女と共鳴した。
お互いの縁が続く限り、泣いたり笑ったり怒ったり感動したりして一緒に人生を楽しんでいきたいなぁ!
だからやっぱりありがとう。
全てのことにありがとう。
こないだの日曜日、ゴールデンウィーク真っ只中の東京でそんな嬉しい出来事が私に訪れた。
自分の思うことや感じることを素直に表現していたら、その人はふわりと私の前にやってきた。言葉を超えた直感の部分ですんなりと打ち解けあった私達・・・心地よいメールのやり取りが続いてから、とうとうこの日会うことができたのだった。
待ち合わせのロータリー、彼女は今時めずらしく携帯を持っていないと言う。
「黒いワンピースを着た、コロッケ似の私を探して下さい。」
待ち合わせの5分前に着いた私は「コロッケ似の人、コロッケ似の・・・」とブツブツつぶやきながら黒いワンピースの人を片っ端からチェックしていった。
しかし。コロッケ似の女性って・・・? ううむ。
見渡すと、黒いワンピースを着た人って意外と少ないのだ。ようやく1人見つけたけれど全然コロッケに似ていないし。
待ち合わせを10分も過ぎるとさすがに焦る。相手には私の服装も伝えてあるし、誰も声を掛けてこないということは遅れてるのかな・・・。
人が多すぎる。行き交う人の波でクラクラしてくる。
その時。人の流れが途切れた(ように感じた)一瞬・・・さっきの黒ワンピースの女性と目が合い、2人は同時に小首を傾げた。
「ん?」
笑いながら近づく。その人だった!
「ティダさんですか?」
「そうです〜初めまして!それにしてもちっともコロッケに似てないですよ〜!!」
そう、コロッケと聞いて私が想像していたのはなぜか岩崎ひろみの物まね。涼しい眼の、とても綺麗な顔立ちの彼女とは程遠かったの・・・(泣)
ともかく、無事に会えて良かった良かった♪
それから私達は行楽弁当を買い込み、春の陽射しが降り注ぐ新緑の公園へ向かった。
人は初対面の人と会うとき、自分との相性を最初の一瞬で直感的に判断している。言葉も笑顔も超えて、相手のことを全く知らない真っ白な状態で通じ合う何か。目や耳を使わない情報交換はダイレクトに心に響いてくる。
人によってその強弱が違うし、その直感にどのくらい重きを置くかも違う。
私の場合、かなり子供の時から自分の直感を信じ大切にしていた。それは反面、簡単に人を決め付けやすいと言う欠点でもあるけれど、大人になるにつれ色んな経験をしてそこに柔軟性が生まれて、上手くバランスを取れるようになったと思う。
お弁当をぶら下げて歩きながら、私は最初に感じた直感が確信に変わっていくのを味わっていた。ああ・・・この人と出会えてよかった!
それはもう理屈ではない。あれ、理屈じゃないって言葉、3日の日記にも書いたなぁ・・・なんだかいいな。好きだな。
おっと話がそれたけど
人との付き合いで、相手の何に焦点を合わせるかって大切だ。
友達でも上司でも恋人でも、自分の持っている波長と合う人を自然に引き寄せるから、今周りにいる人たちはみんな自分の鏡。たとえ嫌だと思う人でも、ちょっと角度を変えて見れば自分を成長させてくれるありがた〜い先生だ。
そしてもちろん、この日出会えた人のように初対面からすぅーっと受け入れられる人は本当に貴重だ。大切にしていきたいな。
彼女は、ひとつひとつの言葉をとてもていねいに話す。
少し押さえたような落ち着いた口調は、すぐに内に秘めたものを連想させた。それを正面からきちんと見据えている。
私とは全く違う生活を送っていて、これまでの人生も対照的と言ってもいいくらいなのにこの「しっくり感」は何だろう。
彼女の持つ何かが、私を引き寄せた。
私の持つ何かが、彼女と共鳴した。
お互いの縁が続く限り、泣いたり笑ったり怒ったり感動したりして一緒に人生を楽しんでいきたいなぁ!
だからやっぱりありがとう。
全てのことにありがとう。
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水槽と小屋
2004年5月3日ゴールデンなウィーク真っ只中。
私は先週の金曜日から東京に行っていて、今日戻ってきました。
向こうではイベント盛り沢山だったので、まずは1日(土)の出来事から・・・いってみよう!(←ドリフ調にね♪)
この日、文字通り朝から晩まで私と遊んでくれたのは古い友達のクミ。そもそも私が東京に来たのは、この日の晩に共通の友達である通称”小僧”(でも女)がやる芝居を見るためだった。
そう・・・(遠い目)
私は昔、小さな劇団でアングラの芝居をしていた。
その頃いつも姉妹の様につるんでいたのが、同じ劇団で役者をやっていたクミと小僧と私。それぞれの個性は全く違うのに、人格を形成している根っこにどうしようもなく相通じるものを持っていた私達は、気がつくと子猫のようにコロコロとじゃれ合ってはお互いと自分の存在を確かめあっていたなぁ。
そんな小僧が、8年ぶりに舞台に立つ。芝居から離れて別の道に進んでいた彼女だけど、キャラクターを買われて出演のオファーが来たのだ。役どころは「文楽人形」、クミと私の頭の中にはそれを聞いただけでその姿がありありと浮かんだ・・・これを見ずにはいらりょうか!!
と言うことで開演は夜6時。それまでヒマだった私はクミを誘って私のだ〜〜い好きな場所に付き合ってもらった・・・
それは、ウフッ♪ 水族館よ!
いつかは内田春菊さんのように、日本全国の水族館めぐりをしたいと思っているほど私はマニア。一度入ったら食事も忘れて水槽に噛りつき、まず4時間は出てこないわよ。(ちっちゃいとこは除く)
今日の目的地は「葛西臨海水族園」。
JR京葉線・葛西臨海公園駅下車、徒歩3分。遠足気分満点の私達は9時半に改札で待ち合わせた。
仕事の日には考えられないような目覚めの良さで、さっさと身支度をして家を出た私は予定より15分も早く駅に着く・・・はずだった。でも、肝心なところでツメが甘い私は待ち合わせた駅に快速が止まらないことなどツユ知らず、ひとつ先の舞浜駅まで連れて行かれてしまった・・・。(←あくまでも人のせいか)
ふふっ。でも大丈夫。
だって15分も早く着くところだったんだもの。
舞浜駅で降りた私は、余裕の足取りで反対ホームに来た電車に乗り込んだ。するとしばらくたって車内放送・・・
「快速東京行きです、次は新木場〜新木場。」
・・・・・・・。
何やってんだー!!!
これじゃ一生「葛西臨海公園駅」に辿り着けないぞおおおお!!
それでも、根が不真面目な(?)私はどうしようもなく笑いがこみ上げてきて、押さえるのに必死。
涙目で肩がヒクヒク、息継ぎができずに死ぬかと思った。
今時小学生でもやらかさないよね〜、こんなこと。
結局15分遅れて駅に着いた私を、クミはいつもの笑顔で迎えてくれた。
さて、気を取り直して水族園。
いきなり私達を出迎えてくれたのはサメだった。いかにも邪悪な人相・・いや魚相を存分に楽しむ。左右に大きく張り出した頭の両端に目がついているアカシュモクザメ、一体世界はどんな風に見えているのか。
階段を下りるとマグロの大水槽。自分よりも大きなマグロが、ドーナツ型の巨大水槽の中をテラテラと泳いでいる。たいていの人が思わず「美味そう」と言うだろうが、私に言わせればそれはご法度、反則技。本来ならエッチラオッチラ器材をしょって海に潜らなければ見ることができない魚の生態を簡単に水族館で見ることができるんだから、食欲はひとまず置いといて欲しい・・・ってまあ、どう見ようがその人の勝手だけども。ごめん、マニアで。
続いて「世界の水槽」。太平洋・大西洋・インド洋・カリブ海から北極南極の海に至るまで、地域別にたくさんの魚達が展示されている。子供連れの一家や、意外にも海外からの観光客が多くごった返している上に、水槽が小さくて見づらかった。それでもやっぱり、色とりどりの魚が珊瑚礁の間に見え隠れするのを見ているとスーッと心が落ち着いていく・・・。小学生の子供と並んでかぶり付きで見ている私達。
更におどろおどろしい「深海の生物」、ウニやヒトデに触ることもできる「渚の生物」、東京湾の魚やクラゲコーナーや実験展示などもあって大人も子供も楽しめる充実度。
残念だったのは、ピラルクなどの大型魚がいなかったこと。巨大な魚がゆっくりとヌラヌラと泳ぐのを見るのが大好きな私だ。
あ、そうそう、絵葉書でしか見たことがなかった「リフィーシードラゴン」がいた!タツノオトシゴに似てるけどそれよりずっと大きくて、体中から海草が生えているように見える。不思議な生き物だ・・・毎日何を考えてんだろ。
外に出ると広い広いペンギンコーナー。ここが一番立派だったなぁ。雲ひとつ無い青空から春の陽射しが降り注ぐ中、泳いだり陸に上がって毛づくろいしたりしてるペンギン達を見ていたら眠た〜くなってきたよ。
さて、食事も入れてたっぷり5時間水族園を堪能した私達はすぐ隣にそびえ立つ大観覧車に乗ることにした。ここのはなーんと高さ117m、輪の直径が111mで日本一!17分で1周する。今日は絶好の観覧車日和で長蛇の列、30分待ってやっと乗ったらクミはいきなり激しい睡魔に襲われた。「1秒でも黙ったら寝ちゃう」と言うので喋り続けてあげた。
故郷か、はたまた魔都か・・・東京の夕暮れを一望して地上に降り、電車に乗っていよいよ小僧の芝居を見に行く。しかし、時間の計算が甘く(クミと私の組み合わせでは日常茶飯事)晩メシを食べる時間がない!!しかも聞けば芝居は2時間を越えるという!!信じられん、映画より長い芝居なんてイカンよなぁ。
未だ睡魔の手から逃れられず、半分意識を失っているクミを突つきながら5分前に小屋(劇場)に着いた。ホッ。
芝居を見ること自体久しぶりだし、100人ほどの小劇場は私のトラウマにもなっていて何だか緊張しちゃったけど、五感いや六感までフル回転させて見た。小僧・・はまり役。想像通り板に付いてたから安心して見ていられた。流石だな。
芝居がはねた後、小僧も含めた他の役者さん達と飲みに行った。その中には昔の役者仲間でもある小僧の旦那さんや、その頃ニアミスしていた美少年系(でも女性)の役者さんなんかもいてめちゃくちゃ盛り上がった。
ああ・・・この感覚。
言葉ではうまく言い表せない、この安心感は久しぶり。
自分を飾る必要が全くない仲間と一緒に過ごす時間。頭を使って理屈をこねなくてもいい、感じたことをそのまま言っても誰も裁いたり裁かれたりしない。それは、芝居を通じて人間の醜さをさらけ出すことができた、受け入れることができた体験を持つ人たちの共通の意識だ。
そうは言っても、小難しい演技論や人間心理学なんかで熱弁をふるっている訳じゃない。お酒の席でよくある、何てことはない雑談。それなのに見る見るうちに自分が自分らしくなっていく。
もう理屈じゃない、ただ、楽しい。
結局終電ギリギリセーフで、クミの家に泊まらせてもらった。
クタクタに疲れた体を布団に滑り込ませて、それでもまだバカなことを言い合って笑うクミと私・・・気がつくと眠りに落ちていた。
小僧、ありがとう! 小僧、万歳! ビバ、小僧!
それにしても今日が初日。5日の千秋楽まで頑張れよ〜!!
私は先週の金曜日から東京に行っていて、今日戻ってきました。
向こうではイベント盛り沢山だったので、まずは1日(土)の出来事から・・・いってみよう!(←ドリフ調にね♪)
この日、文字通り朝から晩まで私と遊んでくれたのは古い友達のクミ。そもそも私が東京に来たのは、この日の晩に共通の友達である通称”小僧”(でも女)がやる芝居を見るためだった。
そう・・・(遠い目)
私は昔、小さな劇団でアングラの芝居をしていた。
その頃いつも姉妹の様につるんでいたのが、同じ劇団で役者をやっていたクミと小僧と私。それぞれの個性は全く違うのに、人格を形成している根っこにどうしようもなく相通じるものを持っていた私達は、気がつくと子猫のようにコロコロとじゃれ合ってはお互いと自分の存在を確かめあっていたなぁ。
そんな小僧が、8年ぶりに舞台に立つ。芝居から離れて別の道に進んでいた彼女だけど、キャラクターを買われて出演のオファーが来たのだ。役どころは「文楽人形」、クミと私の頭の中にはそれを聞いただけでその姿がありありと浮かんだ・・・これを見ずにはいらりょうか!!
と言うことで開演は夜6時。それまでヒマだった私はクミを誘って私のだ〜〜い好きな場所に付き合ってもらった・・・
それは、ウフッ♪ 水族館よ!
いつかは内田春菊さんのように、日本全国の水族館めぐりをしたいと思っているほど私はマニア。一度入ったら食事も忘れて水槽に噛りつき、まず4時間は出てこないわよ。(ちっちゃいとこは除く)
今日の目的地は「葛西臨海水族園」。
JR京葉線・葛西臨海公園駅下車、徒歩3分。遠足気分満点の私達は9時半に改札で待ち合わせた。
仕事の日には考えられないような目覚めの良さで、さっさと身支度をして家を出た私は予定より15分も早く駅に着く・・・はずだった。でも、肝心なところでツメが甘い私は待ち合わせた駅に快速が止まらないことなどツユ知らず、ひとつ先の舞浜駅まで連れて行かれてしまった・・・。(←あくまでも人のせいか)
ふふっ。でも大丈夫。
だって15分も早く着くところだったんだもの。
舞浜駅で降りた私は、余裕の足取りで反対ホームに来た電車に乗り込んだ。するとしばらくたって車内放送・・・
「快速東京行きです、次は新木場〜新木場。」
・・・・・・・。
何やってんだー!!!
これじゃ一生「葛西臨海公園駅」に辿り着けないぞおおおお!!
それでも、根が不真面目な(?)私はどうしようもなく笑いがこみ上げてきて、押さえるのに必死。
涙目で肩がヒクヒク、息継ぎができずに死ぬかと思った。
今時小学生でもやらかさないよね〜、こんなこと。
結局15分遅れて駅に着いた私を、クミはいつもの笑顔で迎えてくれた。
さて、気を取り直して水族園。
いきなり私達を出迎えてくれたのはサメだった。いかにも邪悪な人相・・いや魚相を存分に楽しむ。左右に大きく張り出した頭の両端に目がついているアカシュモクザメ、一体世界はどんな風に見えているのか。
階段を下りるとマグロの大水槽。自分よりも大きなマグロが、ドーナツ型の巨大水槽の中をテラテラと泳いでいる。たいていの人が思わず「美味そう」と言うだろうが、私に言わせればそれはご法度、反則技。本来ならエッチラオッチラ器材をしょって海に潜らなければ見ることができない魚の生態を簡単に水族館で見ることができるんだから、食欲はひとまず置いといて欲しい・・・ってまあ、どう見ようがその人の勝手だけども。ごめん、マニアで。
続いて「世界の水槽」。太平洋・大西洋・インド洋・カリブ海から北極南極の海に至るまで、地域別にたくさんの魚達が展示されている。子供連れの一家や、意外にも海外からの観光客が多くごった返している上に、水槽が小さくて見づらかった。それでもやっぱり、色とりどりの魚が珊瑚礁の間に見え隠れするのを見ているとスーッと心が落ち着いていく・・・。小学生の子供と並んでかぶり付きで見ている私達。
更におどろおどろしい「深海の生物」、ウニやヒトデに触ることもできる「渚の生物」、東京湾の魚やクラゲコーナーや実験展示などもあって大人も子供も楽しめる充実度。
残念だったのは、ピラルクなどの大型魚がいなかったこと。巨大な魚がゆっくりとヌラヌラと泳ぐのを見るのが大好きな私だ。
あ、そうそう、絵葉書でしか見たことがなかった「リフィーシードラゴン」がいた!タツノオトシゴに似てるけどそれよりずっと大きくて、体中から海草が生えているように見える。不思議な生き物だ・・・毎日何を考えてんだろ。
外に出ると広い広いペンギンコーナー。ここが一番立派だったなぁ。雲ひとつ無い青空から春の陽射しが降り注ぐ中、泳いだり陸に上がって毛づくろいしたりしてるペンギン達を見ていたら眠た〜くなってきたよ。
さて、食事も入れてたっぷり5時間水族園を堪能した私達はすぐ隣にそびえ立つ大観覧車に乗ることにした。ここのはなーんと高さ117m、輪の直径が111mで日本一!17分で1周する。今日は絶好の観覧車日和で長蛇の列、30分待ってやっと乗ったらクミはいきなり激しい睡魔に襲われた。「1秒でも黙ったら寝ちゃう」と言うので喋り続けてあげた。
故郷か、はたまた魔都か・・・東京の夕暮れを一望して地上に降り、電車に乗っていよいよ小僧の芝居を見に行く。しかし、時間の計算が甘く(クミと私の組み合わせでは日常茶飯事)晩メシを食べる時間がない!!しかも聞けば芝居は2時間を越えるという!!信じられん、映画より長い芝居なんてイカンよなぁ。
未だ睡魔の手から逃れられず、半分意識を失っているクミを突つきながら5分前に小屋(劇場)に着いた。ホッ。
芝居を見ること自体久しぶりだし、100人ほどの小劇場は私のトラウマにもなっていて何だか緊張しちゃったけど、五感いや六感までフル回転させて見た。小僧・・はまり役。想像通り板に付いてたから安心して見ていられた。流石だな。
芝居がはねた後、小僧も含めた他の役者さん達と飲みに行った。その中には昔の役者仲間でもある小僧の旦那さんや、その頃ニアミスしていた美少年系(でも女性)の役者さんなんかもいてめちゃくちゃ盛り上がった。
ああ・・・この感覚。
言葉ではうまく言い表せない、この安心感は久しぶり。
自分を飾る必要が全くない仲間と一緒に過ごす時間。頭を使って理屈をこねなくてもいい、感じたことをそのまま言っても誰も裁いたり裁かれたりしない。それは、芝居を通じて人間の醜さをさらけ出すことができた、受け入れることができた体験を持つ人たちの共通の意識だ。
そうは言っても、小難しい演技論や人間心理学なんかで熱弁をふるっている訳じゃない。お酒の席でよくある、何てことはない雑談。それなのに見る見るうちに自分が自分らしくなっていく。
もう理屈じゃない、ただ、楽しい。
結局終電ギリギリセーフで、クミの家に泊まらせてもらった。
クタクタに疲れた体を布団に滑り込ませて、それでもまだバカなことを言い合って笑うクミと私・・・気がつくと眠りに落ちていた。
小僧、ありがとう! 小僧、万歳! ビバ、小僧!
それにしても今日が初日。5日の千秋楽まで頑張れよ〜!!
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夢で見た涙
2004年4月26日たった1通の、ごく短いメールで
私はまだこんなにも落胆することができるのか
判っていたつもりの
自分の心の脆弱さを思い知らされたようだ
ううん
そんなカッコイイもんじゃなくて
「痛い思いをしなきゃわからない」ってことかも
しかも
1度じゃなく何度も繰り返して
錆びたナイフで切られる痛みを味わおうとする
そうだ、「味わおうと」しているんだ
自分から求めているんだ
そうじゃなきゃやって来ない
引き寄せることができない
海の向こうから聞こえてくるラジオが言った
「後悔しちゃダメだよ」
そうなんだ
後悔することなんか存在しないんだった
眼を閉じて
深呼吸をして
一瞬でその様相を変えることができるんだった
こんな風に
私はきっと「めげない」女なんだろうけど
お願い
できればもう少し
優しくして
私はまだこんなにも落胆することができるのか
判っていたつもりの
自分の心の脆弱さを思い知らされたようだ
ううん
そんなカッコイイもんじゃなくて
「痛い思いをしなきゃわからない」ってことかも
しかも
1度じゃなく何度も繰り返して
錆びたナイフで切られる痛みを味わおうとする
そうだ、「味わおうと」しているんだ
自分から求めているんだ
そうじゃなきゃやって来ない
引き寄せることができない
海の向こうから聞こえてくるラジオが言った
「後悔しちゃダメだよ」
そうなんだ
後悔することなんか存在しないんだった
眼を閉じて
深呼吸をして
一瞬でその様相を変えることができるんだった
こんな風に
私はきっと「めげない」女なんだろうけど
お願い
できればもう少し
優しくして
ぷっ・・・・。
2004年4月20日ぷぷっ。
くっ くくくく・・・・
くすっ
ブッ
ぶわあっはっはっ!!
あーははははははっ!
うひひひひひひ、 がはははははーっ!!!
ひゃっひゃっひゃっ
ひーーーーーーー!!
わはははははははははは
わはははははははははは
あーーーーっはははははははは
ヒクヒクヒク・・・・
やめてっ
お願い・・・・もう、やめてーーーっ!
あーーーっはっはっは!!!
わあーーっははははは!!!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あー・・・・・・・・
ハァハァハァ・・・・
はあー・・・・。(顔デローン)
くっ くくくく・・・・
くすっ
ブッ
ぶわあっはっはっ!!
あーははははははっ!
うひひひひひひ、 がはははははーっ!!!
ひゃっひゃっひゃっ
ひーーーーーーー!!
わはははははははははは
わはははははははははは
あーーーーっはははははははは
ヒクヒクヒク・・・・
やめてっ
お願い・・・・もう、やめてーーーっ!
あーーーっはっはっは!!!
わあーーっははははは!!!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あはははは!
あー・・・・・・・・
ハァハァハァ・・・・
はあー・・・・。(顔デローン)
おおう・・・
2004年4月19日大阪に戻ってきました〜。
空港に着くなりものすごい大雨でびっくり。
そろそろ春の嵐が吹き荒れる頃か。
さて今日は電池切れです、すまぬ。
ちょこっとだけ秘密あります。
♪ま〜た あ〜し〜た〜♪
空港に着くなりものすごい大雨でびっくり。
そろそろ春の嵐が吹き荒れる頃か。
さて今日は電池切れです、すまぬ。
ちょこっとだけ秘密あります。
♪ま〜た あ〜し〜た〜♪
”ちゅらさん”ちゃうで〜 ”ちぇらさん”やでぇ〜
2004年4月18日すごい・・・
怖いくらいだ。
大事なことは繰り返し確認させられるのか。
特に先週から私の周りに集まってくる、人・本・出来事。
そして今日の出会いも。
全てが鍼の先生の言葉を反復している・・・
表現方法は違うけれど、現象として現れる形も違うけれど、
全部ちゃんとあの場所につながっている。
さあ これからが本当の生きる道。
「今の」答えはここにあった。
先生!!
怖いくらいです。こんな風にして、扉は開いていくんですね。
こんなにも静かに整然と、エネルギーに満ち満ちて。
「そうなるようになったーんねん!」
口癖のようにおっしゃっていたその言葉の、本当の意味がわかりました。私・・・未熟だった!
そう これからも
未熟な自分を幾度となく突きつけられて
先生・・・
私は先生がおっしゃったように、
<チェラ>になるのでしょうか。
あっ
笑ってますね!
怖いくらいだ。
大事なことは繰り返し確認させられるのか。
特に先週から私の周りに集まってくる、人・本・出来事。
そして今日の出会いも。
全てが鍼の先生の言葉を反復している・・・
表現方法は違うけれど、現象として現れる形も違うけれど、
全部ちゃんとあの場所につながっている。
さあ これからが本当の生きる道。
「今の」答えはここにあった。
先生!!
怖いくらいです。こんな風にして、扉は開いていくんですね。
こんなにも静かに整然と、エネルギーに満ち満ちて。
「そうなるようになったーんねん!」
口癖のようにおっしゃっていたその言葉の、本当の意味がわかりました。私・・・未熟だった!
そう これからも
未熟な自分を幾度となく突きつけられて
先生・・・
私は先生がおっしゃったように、
<チェラ>になるのでしょうか。
あっ
笑ってますね!
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目は曇らせない
2004年4月16日今日から東京に来ています。来週の月曜日まで。
いつも通り伊丹から飛行機に乗って羽田について、羽田からモノレールとJRを乗り継いで新宿に着いて、今インターネットカフェでこれを書いています。
ここに来るまではラッシュと重なって、JR中央線の車内はギュウギュウ詰め。
ドアのところに立ってボーっと乗っていた私の目に、スポーツ新聞の大きな見出しが飛び込んできた。
<小泉総理 激怒・「反省なし」>
さっき飛行機の中で見たニュースと見出しの言葉から想像して、イラクで人質となっていた女性が解放されてインタビューに応じた時の話に、総理がご立腹なのだということがわかった。
そのインタビューで彼女は「今後の支援活動はどうしますか?」と聞かれ、「続けます」と答えた。前後の話を聞いていないので微妙なニュアンスが私には判っていないけれど、小泉総理が「反省がない」と激怒しているなら私の想像は当たらずとも遠からずかと思う。
日本中が固唾を呑んで見守っていた、日本人人質事件。
私も毎日、最悪の事態にだけはならないでくれとテレビをつけるたびにちょっぴり祈るような気持ちだった。
無事に解放されて、本当に良かった。
そこで小泉総理だ。
私の想像も及ばないほど時間も労力も裂いて、この事件の解決にあたっていただろう。その反動で上記のような発言が出ても無理もないし、そう思う人は沢山いると思うし、それが人間ってもんだとも思う。
そこで私だ。
この場合の”怒り”は、自分の精神的・肉体的苦労を相手に対して「してやった」と感じているところから出てくるのではないかな。
でも、それは少し違うと私は思う。
起こること全てに意味がある。彼らが捉えられて地獄のような8日間を過ごしたことにも、日本中が彼らを心配したことも、彼らを助け出すためにご家族の皆さんをはじめ大勢の方々が力を尽くしたことも。
そして、そのこと全てに「させて頂いた」という気持ちで接してみると、また違った見方が出来ると思う・・・。
「心配してやった」
「助けてやった」
「あらゆる手段を使って交渉してやった」
ではなく
みんな「〜させて頂いた」ことなのではないだろうか。
そう思うと、この事件でみんなが実に様々なことを学んだことになる。私も日常生活ではありえない、経験したことのない事態に深く考えさせられた。
生きていると、どんなことでも起こり得る。
そして、身近に起こることは実は自分が引き寄せていることだということも、私は確信を持つようになった。
無事に生きて帰った彼らは、まだ生きて、しなければならないことがあるのだろう。今回のことを経験しなければならない何かを、彼ら3人は共通に持っていたのだろう。
そして小泉総理・・・
昨日のニュースで、犯人グループがこんなコメントを出していたよ。
「人質を解放したのは、日本国民が自衛隊を撤退させるためにデモを行っているのを見たからだ。日本政府が何かをしたためではない。」
反省がないって怒っている場合ではないんとちゃう?
「新宿〜 新宿〜」
すし詰めの車内から私も解放されて、意識が現実に戻る。
さあ! これからひと仕事!!
いつも通り伊丹から飛行機に乗って羽田について、羽田からモノレールとJRを乗り継いで新宿に着いて、今インターネットカフェでこれを書いています。
ここに来るまではラッシュと重なって、JR中央線の車内はギュウギュウ詰め。
ドアのところに立ってボーっと乗っていた私の目に、スポーツ新聞の大きな見出しが飛び込んできた。
<小泉総理 激怒・「反省なし」>
さっき飛行機の中で見たニュースと見出しの言葉から想像して、イラクで人質となっていた女性が解放されてインタビューに応じた時の話に、総理がご立腹なのだということがわかった。
そのインタビューで彼女は「今後の支援活動はどうしますか?」と聞かれ、「続けます」と答えた。前後の話を聞いていないので微妙なニュアンスが私には判っていないけれど、小泉総理が「反省がない」と激怒しているなら私の想像は当たらずとも遠からずかと思う。
日本中が固唾を呑んで見守っていた、日本人人質事件。
私も毎日、最悪の事態にだけはならないでくれとテレビをつけるたびにちょっぴり祈るような気持ちだった。
無事に解放されて、本当に良かった。
そこで小泉総理だ。
私の想像も及ばないほど時間も労力も裂いて、この事件の解決にあたっていただろう。その反動で上記のような発言が出ても無理もないし、そう思う人は沢山いると思うし、それが人間ってもんだとも思う。
そこで私だ。
この場合の”怒り”は、自分の精神的・肉体的苦労を相手に対して「してやった」と感じているところから出てくるのではないかな。
でも、それは少し違うと私は思う。
起こること全てに意味がある。彼らが捉えられて地獄のような8日間を過ごしたことにも、日本中が彼らを心配したことも、彼らを助け出すためにご家族の皆さんをはじめ大勢の方々が力を尽くしたことも。
そして、そのこと全てに「させて頂いた」という気持ちで接してみると、また違った見方が出来ると思う・・・。
「心配してやった」
「助けてやった」
「あらゆる手段を使って交渉してやった」
ではなく
みんな「〜させて頂いた」ことなのではないだろうか。
そう思うと、この事件でみんなが実に様々なことを学んだことになる。私も日常生活ではありえない、経験したことのない事態に深く考えさせられた。
生きていると、どんなことでも起こり得る。
そして、身近に起こることは実は自分が引き寄せていることだということも、私は確信を持つようになった。
無事に生きて帰った彼らは、まだ生きて、しなければならないことがあるのだろう。今回のことを経験しなければならない何かを、彼ら3人は共通に持っていたのだろう。
そして小泉総理・・・
昨日のニュースで、犯人グループがこんなコメントを出していたよ。
「人質を解放したのは、日本国民が自衛隊を撤退させるためにデモを行っているのを見たからだ。日本政府が何かをしたためではない。」
反省がないって怒っている場合ではないんとちゃう?
「新宿〜 新宿〜」
すし詰めの車内から私も解放されて、意識が現実に戻る。
さあ! これからひと仕事!!
ヤマトナデシコじゃなくても七変化
2004年4月14日中学の頃
仲良しグループでいつものようにおしゃべりに夢中になっている時、当時流行っていたリストバンドをお揃いで買おうという素敵なアイディアを思いついた。
でも全員が同じ色じゃつまらない。デザインは同じにして色違いにしよう。それじゃあ誰が何色にする・・・?
そこで、ひとりひとりのイメージを他のみんなが色に例えてみることにしたのね。
A子は、おっとりして優しい感じだからオレンジ。
B美は、いかにも女の子っていう雰囲気がピンクだよね。
C江は、いつも落ち着いててクールだから青。
D代は、目立ちたがり屋だから赤に決定!
一番最後に、私の番になった。
「ティダはねぇ・・・白かな。」
「そうそう、白よねー!」
「言えてる!だってあんまりコレっていう特徴ないじゃない?」
私は内心、驚いていた。
へぇ〜・・・・・(×20で満へぇ状態)
私って白なんだ。そういうイメージなんだぁ。
友達から見たその頃の私は、あまり自分の意見を主張することなく他の人の提案にいつも「いいんじゃない。」と同調する、良く言えばこだわりの無さそうな人、悪く言えば決断力に欠けていていつも誰かの後ろにくっついて歩いているようなおとなしい子というイメージだったようだ。
当の本人はと言うと、そんな風に思われているのが全く意外だった。むしろ「わがまま過ぎないかしら」と気を使っていたくらいだった。
んん〜、この差は何?
この頃・・・たかだか13、4歳の私の心の中というのは自分でも手に余るほど複雑な様相を呈していた。
思うことや感じることが尽きることなく湧き上がってくる毎日。それは例えば「休み時間になったらあの子に会わなくっちゃ」という些細なことから「どうしたら今すぐ学校をやめて好きなことに没頭する生活を送れるか」という白昼夢まで、およそジャンルも時系列もまとめ難いことだらけ。
そしていつの間にか、それを安易に口に出すことができなくなっていたらしい。自分は何か変わってる、どこか他人とは違うから黙っていよう。そうじゃないと仲間外れにされちゃう・・・。そんなことを勝手に決めつけていたのよね。
でも、持って生まれた性格はそうそう隠せません。定期的にポロッとおかしな発言をしてその場を凍りつかせたり、急に躁状態になりギャグを連発して周りを笑わせたり。自分をどう表現したらいいか全く判らなかった私・・・確かに他人から見たら得体が知れなかったかも。
それから数日後、私達の手首にはみんなで決めたそれぞれの色のリストバンドがはめられていた。私は自分の手首の白を見るたび、ほんわかと嬉しい気持ちになっていた。自分の心の中とは違ったけれど、その「白」は私が生まれて初めて家族以外の人に教えてもらった「自分」だったのだ。
そして今、いいオトナになった私は自分を表現する術をたくさん身に着けている(つもり)。目の前にいる人に一番通じやすい表現方法を選ぶことができる(つもり)。
ああ・・・、大人になれて良かったよ。
でもきっと、もっと大人になった自分から見たら今の私もガキなんだろうな。
いやん。早く先へ行きたいわ。
私を色に例えるなら・・・今は何色なんだろう?
それは毎日違うだろう。いや、瞬間瞬間に変化しているのか。
そうオーロラのように。
死ぬまでに見に行きたいぞ、オーロラ。
仲良しグループでいつものようにおしゃべりに夢中になっている時、当時流行っていたリストバンドをお揃いで買おうという素敵なアイディアを思いついた。
でも全員が同じ色じゃつまらない。デザインは同じにして色違いにしよう。それじゃあ誰が何色にする・・・?
そこで、ひとりひとりのイメージを他のみんなが色に例えてみることにしたのね。
A子は、おっとりして優しい感じだからオレンジ。
B美は、いかにも女の子っていう雰囲気がピンクだよね。
C江は、いつも落ち着いててクールだから青。
D代は、目立ちたがり屋だから赤に決定!
一番最後に、私の番になった。
「ティダはねぇ・・・白かな。」
「そうそう、白よねー!」
「言えてる!だってあんまりコレっていう特徴ないじゃない?」
私は内心、驚いていた。
へぇ〜・・・・・(×20で満へぇ状態)
私って白なんだ。そういうイメージなんだぁ。
友達から見たその頃の私は、あまり自分の意見を主張することなく他の人の提案にいつも「いいんじゃない。」と同調する、良く言えばこだわりの無さそうな人、悪く言えば決断力に欠けていていつも誰かの後ろにくっついて歩いているようなおとなしい子というイメージだったようだ。
当の本人はと言うと、そんな風に思われているのが全く意外だった。むしろ「わがまま過ぎないかしら」と気を使っていたくらいだった。
んん〜、この差は何?
この頃・・・たかだか13、4歳の私の心の中というのは自分でも手に余るほど複雑な様相を呈していた。
思うことや感じることが尽きることなく湧き上がってくる毎日。それは例えば「休み時間になったらあの子に会わなくっちゃ」という些細なことから「どうしたら今すぐ学校をやめて好きなことに没頭する生活を送れるか」という白昼夢まで、およそジャンルも時系列もまとめ難いことだらけ。
そしていつの間にか、それを安易に口に出すことができなくなっていたらしい。自分は何か変わってる、どこか他人とは違うから黙っていよう。そうじゃないと仲間外れにされちゃう・・・。そんなことを勝手に決めつけていたのよね。
でも、持って生まれた性格はそうそう隠せません。定期的にポロッとおかしな発言をしてその場を凍りつかせたり、急に躁状態になりギャグを連発して周りを笑わせたり。自分をどう表現したらいいか全く判らなかった私・・・確かに他人から見たら得体が知れなかったかも。
それから数日後、私達の手首にはみんなで決めたそれぞれの色のリストバンドがはめられていた。私は自分の手首の白を見るたび、ほんわかと嬉しい気持ちになっていた。自分の心の中とは違ったけれど、その「白」は私が生まれて初めて家族以外の人に教えてもらった「自分」だったのだ。
そして今、いいオトナになった私は自分を表現する術をたくさん身に着けている(つもり)。目の前にいる人に一番通じやすい表現方法を選ぶことができる(つもり)。
ああ・・・、大人になれて良かったよ。
でもきっと、もっと大人になった自分から見たら今の私もガキなんだろうな。
いやん。早く先へ行きたいわ。
私を色に例えるなら・・・今は何色なんだろう?
それは毎日違うだろう。いや、瞬間瞬間に変化しているのか。
そうオーロラのように。
死ぬまでに見に行きたいぞ、オーロラ。